[そこが知りたい 子規の生涯]

同時代人の証言でたどる俳人・正岡子規
そこが知りたい 子規の生涯
土井中 照
B6判・160P
¥1200+税

短い生涯でありながら明治文学史上に
大きな足跡を残した子規。
家族や友人、門人たちの語る証言から
子規の姿が見えてくる。

子規の生涯をたどった本文と、同時代人の証言を見開きでわかりやすく構成
●子規の面白エピソード61を収録
●子規の主な人脈がわかる(プロフィール付き)
●子規の生きた明治時代がわかる(略年表付き)
●同時代人の証言はわかりやすい新仮名遣い
●子規の句碑探索のためのマップ付き

子規とともに生きた同時代人が語る子規の姿

 正岡子規は、近代俳句を語る際には欠かせない人物だ。子規が36年の短い生命を燃焼させ、俳句、短歌、文章を革新したことは間違いないのだが、どうも「俳聖」「病弱」「早世」といった悲劇的で堅苦しいイメージがつきまとう。
 子規の生涯は、幼少期、学生時代、社会人と大きく三つに分けられる。この本は、固定観念で語られがちだった子規像ではなく、それぞれの時代を生き生きと過ごした子規にスポットライトを当て、自分のなすべき道を精一杯歩き、それでいて楽天的な彼の素顔を知ってもらうことを意図した。子規の生涯をたどり、子規の実体を知ることで、子規の新しい顔を知ることができるのではないかと考えた。
 そのため、子規の生涯をたどった本文と同時代人の証言を見開きで構成した。主に、子規により親しみを感じてもらえるエピソードを集めている。スペースの関係で、子規ファンが知りたい、とりわけ面白いと感じられるごく一部分を抜粋するにとどまったが、同時代人の証言は、読みやすいように新字体・新仮名遣いに改め、出典も明記した。割愛した部分を原典にあたって読むことで、より確かな子規の全体像を感じていただきたいと思う。神格化された子規ではない、もう少し身近な子規の姿に触れることができるであろう。
 本書で一番苦労したのは、「子規句碑マップ」である。最新情報をお届けしようと、松山市のみならず全県に設置されている子規の句碑を訪れて現状を確認した。運動不足に陥っていた不健康な身体を駆使して山道を登り、句碑を探して繁華街を右往左往した。研究や作品づくりには苦労が伴い、体力が必要なことを痛感した次第だ。
 見聞したことを心に感じたままに描写することが「写生」であるとすれば、子規に関する同時代人の証言を掲載し、エピソードを客観的に綴った本書は、子規の唱える「写生」に思いのほか近いのではないかと思っている。
 この本の執筆にあたり、『子規全集』(講談社)、『子規選集』(増進会出版社)が役立った。また、ネットで入手した二種類の『子規言行録』も大いに活用した。一冊は、河東碧梧桐が編集し大洋社から出版された昭和11年のもの。もう一冊は編集者正岡律子とある大鐙閣発行のもので、小谷保太郎が編んだ明治35年の吉川弘文館版を大正3年に再発売したものだ。こうした本を読むことができるのも、研究の密かな愉しみである。
 この本に書いたことの多くは、子規研究の成果をベースに、私なりの解釈と視点で読みやすく再構成したものだ。先人たちに感謝の意をあらわすとともに、本書が新しい子規ファンを少しでも増やすことができれば、何よりの幸せである。

第1章 幼少期の子規
 【子規の誕生】松山ご城下にまんまる顔の男の子が誕生した
 【正岡家の系譜】祖父の佐伯家・大原家は学者を多く輩出した家系
 【正岡家の火事】曾祖母と父の過失で起こった自宅の火事
 【幼いころの子規】へぼで弱虫、青瓢箪、いじめられっ子の子規
 【子規のちょんまげ】髷を切ることが許されなかった子規
 【子規の学んだ塾】親族から読み書きを教わった子規
 【子規初めての漢詩】「聞子規」という題名の漢詩を初めてつくる
 【子規の勝山学校時代】先生たちの話と読書を愛した子規
 【子規の寄席好き】燕柳の軍談(講談)に夢中になった子規
 【子規の回覧雑誌】さまざまな雑誌をつくり、友人たちに見せた子規
 【子規の書斎】子規のために作られた三畳の書斎
 【子規と五友】詩作と書画を楽しむために仲間が集まった
 【子規初めての旅】子規初めての旅は自慢できるものではなかった
 【自由民権運動と子規】政談に熱中した若き日の子規
 【子規の旅立ち】渇望していた上京が現実のものとなる
 【子規人脈1】幼なじみと学友たちとの交遊
 【子規年表1】日本・松山・子規の動き(1867~1883)

第2章 学生時代の子規
 【子規上京す】東京での子規を待ち受けた友人と恩人
 【子規の予備門合格】軽い気持ちでの受験に合格していた子規
 【子規の予備門落第】子規が一年間に体験した天国と地獄
 【子規と寄席】寄席好きの子規の多彩なエピソード
 【子規と秋山真之1】松山、東京と場所は違っても、変わらない友情
 【子規と秋山真之2】七変人の面々と下宿での二人
 【子規と秋山真之3】文学と軍隊に進路が分かれた二人
 【子規とベースボール1】「野球」の雅号を持つ名選手・子規
 【子規とベースボール2】「野球」の魅力を文学で伝えた子規
 【子規と俳諧】松山帰省で出合った俳句の魅力
 【子規と向島】執筆とロマンスに彩られた向島での子規
 【子規と常盤会寄宿舎1】郷土の人たちが集まる寄宿舎で培った友情
 【子規と号する】突然の喀血で決まった子規の雅号
 【子規と漱石】互いの作品批評から芽生えた二人の友情
 【子規の療養】松山で心と身体を養生した子規
 【子規と漱石の手紙】子規と漱石の親密さを醸す手紙のやりとり
 【子規の野球伝道】文学より早く野球の門弟となった碧梧桐と虚子
 【子規と常盤会寄宿舎2】子規の文学熱は常盤会寄宿舎を二分した
 【子規の小説】子規が書いた小説はすぐ活字にならなかった
 【子規と陸羯南】拓川の友人・陸羯南は子規の生涯の師となった
 【子規の退学決意】退学を前に就職先を決めていた子規
 【子規の下宿がえ】下宿を頻繁に変えたのには理由がある
 【子規の通った学校】子規の時代は、学校の名称が頻繁に変わった
 【子規の帰郷】帰省した子規を温かく包んでくれたふるさと松山
 【子規の紀行】喀血後、頻繁に各地を旅した子規
 【子規人脈2】故郷の友人と文学仲間
 【子規年表2】日本・松山・子規の動き(1883~1892)

第3章 社会人の子規
 【日本新聞社員】一生を「日本」に捧げようと決めた子規
 【小日本編集長】編集長の子規は新機軸を打ち出すが、短命に終わる 
 【従軍記者子規】清国に赴くが銃声を聞くことのなかった子規
 【子規の喀血】船上での喀血が子規の健康をさらに蝕んだ
 【愚陀仏庵の子規】子規と漱石の松山生活は子規が威張っていた
 【子規の松山散策】松山を巡り句作に励んだ子規
 【子規と松風会】病床の子規を訪れた松山の俳人たち
 【子規の後継者】子規は俳句の将来を虚子に託したが拒否される
 【病床の子規】身体を蝕んでいく病魔との闘い
 【ほととぎすとホトトギス】松山発、東京育ちの俳句雑誌
 【俳句革新】芭蕉を批判し、写生の効用を説いた子規
 【和歌革新】万葉の時代に帰れと提唱した子規
 【文章改革】子規が始めた文章修行の「山会」
 【子規の絵】残された日々を絵を描いて過ごした子規
 【子規の涙】漱石にぶつけた子規の泣き言
 【子規の写真】子規の雰囲気と全く違う横顔写真
 【墨汁一滴】子規が掲載を希望した墨汁一滴分の文
 【仰臥漫録】公表を考えなかった日記にみる食へのこだわりと妹への罵詈雑言
 【病牀六尺】動けなくても文章を書き続けた子規
 【子規の死】絶筆三句を残して静かに死を迎えた子規
 【子規の埋髪塔】生前に書かれていた子規の墓誌銘
 【子規人脈3】文学革新で拡がる人脈
 【子規年表3】日本・松山・子規の動き(1892~1902)

第4章 子規句碑マップ
 【子規碑マップ1】松山市中心部
 【子規碑マップ2】松山市西部
 【子規碑マップ3】松山市道後
 【子規碑マップ4】松山市南部
 【子規碑マップ5】松山市北部
 【子規碑マップ6】愛媛県の子規碑

アトラス出版 〒790-0023 愛媛県松山市末広町18-8
TEL 089-932-8131 FAX 089-932-8131