私の名刺には2つの社名がある。時折相手が不思議そうに聞くので、正式名称がインデクスで、アトラス出版は商号ですと答えているのだが、実はアトラス出版の名は、私たちが出していた「Atlas(アトラス)」という地域文化誌に由来している。出版社を始めるにあたり、無名の編集事務所より多少は世に知られた雑誌の名の方がいいだろうという単純な発想から付けた。
アトラスとはギリシャ神話に出てくる天の蒼穹(そうきゅう)を支える神の名で、「支える者」「耐える者」を意味するのだが、16世紀、メルカトールが地図帳の表紙にアトラスを描いたことから「地図帳」もアトラスと呼ぶようになった。私たちがこの名を付けたのは後者の意味の方で、愛媛の人、歴史、今の状況を一冊の地図帳のようにして伝えたいと思い、歴史の中に埋もれていた人物や出来事、産業史、伝統工芸などを新しい切り口で取り上げることにした。
この本を出すについては、あるいきさつがあった。やはり愛媛の文化に特化した「ジ・アース」という雑誌が出されていたのだが、1995年、発行人・忽那(くつな)修徳(しゅうとく)さんの突然の死で廃刊になってしまった。「ジ・アース」には、民俗学、歴史、文学、建築、アートなど幅広いジャンルにわたって愛媛の文化人たちが寄稿していた。また忽那さんは、文化がどのように伝わり交わっていったか、私たちが辺境としか見ない島嶼部(とうしょぶ)や岬、峠、河川などに目を向け、愛媛というフィールドの深層にある多様な文化に気付かせてくれた。
フリーライターだった私は、同じくフリーのカメラマンだった忽那さんと顔見知りだった。忽那さんの一周忌に、彼をしのぶ会が牛渕(うしぶち)ミュージアムで開かれるというので夫婦で参加し、いかに彼が多くの人に支援され、高く評価されていたかを改めて知ったのだが、彼と親しかった人からは、忽那さんはたった一人で制作から広告取り、本の配達までをこなし、その苦労をけっして執筆者たちに感じさせることなく、明るくふるまっていたという話も聞いた。それがどれほどのものか、タウン誌編集の経験があった私たちには、彼の孤独で懸命な頑張りが痛いほどよくわかった。(2012.10.19掲載) |