「アトラス」の思い出

 「ジ・アース」の発行人・忽那修徳さんをしのぶ会に行ったとき、司会の人が「誰か彼の後を継いでくれる人はいませんかね」という話をし、それが妙に心に引っかかったのだが、私たちは、雑誌発行のようなシンドイことは二度とやりたくないという思いの方が強かった。
 それがどう変わったのか、その経緯は長くなるので省くが、とにかく私たちは「Atlas(アトラス)」を出すことになった。岡崎直司、犬伏武彦、堀内統義、近藤日出男らの諸氏が「ジ・アース」に引き続いて執筆してくれることになり、新たな執筆者も加わった。また、仕事仲間のカメラマンやデザイナーもボランティアで取材や制作に協力してくれ、1996年10月に創刊号が出た。夫は発行人、私は編集長で、特集は「故郷で見た大江健三郎」だった。
 表紙に使った内子町大瀬の写真は、朝の4時に起きてカメラマンの車に乗り、山の端(は)から出てくる朝日が谷間の村を少しずつ染めていく情景を撮った。今考えると、そうした原動力になっていたのは、自分の好きなテーマで、誰からも干渉されずに本を作りたいという思いだった気がする。ライターとして受けた仕事はページ数も内容も制約され、取材でいくら面白い話を聞いてもたいてい書き切れない。長い間にはそういう鬱積(うっせき)した思いが心に溜まっており、私は「Atlas」を出すことでようやく解放された気持ちになり、故郷への愛を自然な形で表現できた。
 幸い「Atlas」を面白がってくれた人は多く、4号目でタウン誌大賞の奨励賞をいただいたりしたので早くにやめられなくなったものの、号を重ねるたびに自前のメディアを持つ強みや手応えが感じられるようになった。愛媛ゆかりの人たちを特集で取り上げると、早坂暁さんも天野祐吉さんも取材に応じてくれたし、洲之内徹さんを特集したときは親族や近しい友人たちから話を聞くこともできた。
 驚いたのは、宇和島や八幡浜など特集を組んだまちの人たちが、「私らのまちにこんな歴史があったとは知らんかった」と喜んでくれたことだった。しかし私は10号でこの雑誌をやめた。続けていれば、多分忽那さんと同じ病気でこの世を去っていたと思う。(2012.10.26掲載)

1.ライター稼業40年 2.地方のライター 3.ジ・アースとアトラス 4.アトラスの思い出 5.単行本第1号
6.調べる楽しさ 7.出版というオバケ 8.平均的読者像とルビ 9.文化の喪失 10.編集って、何
11.義士祭とベアトの写真 12.泣かせてしまった本 13.後に続くことば 14.原野に挑んだ人 15.視覚化の醍醐味
16.本の「顔」 17.書く力とは 18.文化財修復と犯罪 19.読む力と想像力 20.木蠟は何に使われた
21.宇和島のヘルリ 22.図書館とのおつきあい 23.サイド・バイ・サイド 24.土井中照さんのこと 25.本のお土産
26.予期せぬ出来事 27.題字は大事だよ 28.生きてるだけで丸儲け 29.掲載ビジネス 30.牛島のボンちゃん
31.おじいさんの自慢 32.編集者の言い分 33.書いてくれませんか 34.隈研吾さんと南京錠 35.幻の出版物
36.高島嘉右衛門と三瀬周三 37 声が聞こえる写真 38.翻訳 39.骨のある出版社 40.男っぽい文章
41.人生のダイジェスト 42.どう書いたら…… 43.消える仕事 44.近欲の風潮 45.運転免許の話
46.目に見える被害 47.過疎の町にパティシエを 48.講演は苦手です 49.カッコ付き市民の意見 50.父の信号
51.文化の繰り上がり 52.出版社の存在意義      
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