テレビを見ていたら、若い男女のタレントが趣味の話をしていた。「俺、読書が趣味なんだ」「えーほんとー? 私も」「へえー、どんなジャンル?」「マンガ」「あ、俺もマンガ」。おいおい、マンガは読書と違うでしょと、私は呆れ気味に思ったのだが、若い人がそう思っても仕方ないところはある。スマートフォンでゲームをしたり、動画を見たり、画像を指で拡大縮小する若者たちにしてみたら、紙に印刷した動いてないマンガのページを指でめくること自体アナログで、読書という古典的な趣味の範疇(はんちゅう)に入るのだろう。
別に私はマンガを否定するわけではないが、マンガと文章を書いた本とは大きな違いがあると思っている。マンガは絵を描いている。だから、ぱっと見れば情景がわかる。しかし文章を読むということは、書かれていることばを目から脳に送り、その人が持っている知識や記憶の中から意味や形などを瞬時に選び出し、頭に情景を描かねばならない。逆に言えば、ことばやことばの意味を知らなければ、読んでも頭に情景が描けない。だから私は、「読む」ことは人間が持つ高い能力のひとつで、誰もが持てるわけではないと思っている。
別に読まなくても絵でわかるならそれでいい、何も困らないという人もいるかもしれない。本当にそうだろうか?
私が書くという仕事をしていて思うのは、読まなくては書けない、ひとから話を聞かなくては書けないということである。自分が見聞きしたことを書こうとするとき、どのことばを使えば読む人がその情景を思い浮かべてくれるか、私は自分が持つことばの中から無意識に選び出して書いている。その数が多ければ多いほど、微妙な違いも書き分けられるはずで、それは読書から得てきたと思う。
書く仕事をする、しないは関係なく、読んで頭に情景を描くということは想像力を高めることにもつながる。ことばを知らなければ、人と会話をしてもニュアンスがつかめず、真意も測れないから、「言ってる意味、わかんなーい」ということになる。就職試験の作文や面接のためだけでなく、社会の中で人と理解し合うために、若い人には読書をしてほしいと思う。(2013.2.9掲載) |