宇和島出身の油屋熊八のことは、「アトラス」という季刊誌を作っていたときに知った。熊八は別府で「亀の井ホテル」「亀の井バス」を創設した人で、数々の観光のアイデアを実行に移し、「別府観光の父」「別府の恩人」といわれるようになった人である。私は、宇和島の特集をするにあたって彼のことを調べようとしたのだが、当時宇和島市に熊八の資料はなかった。そこで別府市役所の観光課に電話したところ、担当者は親切にも2冊の本があると言ってそれを貸してくれた。別府市観光協会編の『油屋熊八伝』と、村上秀夫著『小説 油屋熊八』である。
その本は面白かった。というより、熊八の生き方そのものが面白かった。米相場に手を出して失敗した熊八は、明治30年に単身アメリカに渡り、3年後に帰国すると、別府で旅館を営む妻のところに戻り、次から次と奇抜なアイデアを思い付いては実践した。有名な「地獄めぐり」を考案し、美人ばかりを集めた日本初のバスガイド嬢に歌入りで観光案内をさせたり、富士山に「山は富士 海は瀬戸内 湯は別府」の大看板を立てたりと、とかく人の度肝を抜くことをした。
熊八の奇想天外な生き方は10年ほど前、別府温泉狂奏曲「喜劇 地獄めぐり」という芝居になり大ヒットした。そのサブタイトルになったのが、熊八の口癖だった「生きてるだけで丸もうけ」という言葉である。実はこの後に「生まれない以上の不幸はない」というのが続くそうなのだが、私はそれを知ったとき、そう思えばなんでもできそうな勇気の湧く言葉だと思った。
世の中にはいろいろな不幸な出来事がある。生きていても仕方がないと思う人もいるかもしれないが、つらさを味わった分だけ、小さな喜びにも幸せを感じるものだし、『苦役列車』で芥川賞をもらった西村賢太のように、これほどの不幸なら小説にでも書いてやろうくらいに開き直れば、生きているのも満更ではない。
私も書く仕事をしていると、なかにはしんどさの方が勝り、あまり興の乗らないものもあるのだが、新しいことを知る機会をもらったと思うと、不思議といろいろな発見がある。物事はなんでも〝思いよう〟だと思う。
(2013.4.12掲載) |