ライターの仕事をしてきて良かったなと思うのは、取材でいろいろな人と出会えたことである。先日、瀬戸大橋が開通して25年というニュースを見て、ふと香川県丸亀市沖の牛島に住んでいたボンちゃんのことを思い出した。牛島は、瀬戸大橋を真横から見られる塩飽(しわく)諸島の一つである。
ボンちゃんは若いとき、当時のソ連、ヨーロッパ、北アフリカを3カ月かけて放浪し、北海道のユースホステルでアルバイトをした後、老人ばかり40人が住む牛島にふらりとやってきて、借りた古家でペンションを始めた。縦のものを横にもしないボンちゃんが営むペンションは、屋根や壁が崩れ落ち、庭には草がボウボウ生えていたから、たまに予約してきたお客さんも来てびっくりし、入ろうか入るまいか門の前を行き来するありさまだった。
牛島は、リゾートブームに沸く隣の本島(ほんじま)とは対照的な取り残された島だったが、何が気に入ったのか、17年もこの島に住んでいたボンちゃんは、年収40万円という貧乏状態にもかかわらず、島の人たちから野菜をもらったりしてのんびり、気ままに生きていた。
そんなボンちゃんを取材に行ったのは、瀬戸大橋が開通した翌年のことで、彼が友人たちにお金を借りて出版した『孤島生活ノート』という本が話題になっていたためだった。本当は「瀬戸大橋に背を向けて」というタイトルにしたかったというその本は、もうわが家の本棚を探しても見つからないのだが、リゾート開発で地方の風景を破壊する大資本の受け入れをめぐり、住民が賛成派反対派に分かれて対立する構造が各地で見られたころだったから、お金に縛られないボンちゃんの自由な生き方に救われたような記憶がある。
バブルがはじけてリゾートブームは終焉(しゅうえん)を告げ、直島など「アートの島」だけが再生した。
ボンちゃんは放浪の俳人山頭火に親近感を持っていたのか、私が松山から来たというと「なんで松山は山頭火が死んだとこなのに、その本がないの」と言っていた。『山頭火と松山』という本を出したとき送ってあげようかと思ったのだが、ボンちゃんはいろいろあって、牛島から奄美大島に移ったと風の便りに聞いた。(2013.4.26掲載) |