編集者は、著者が書いた原稿を最初に読む。だから、編集者は最初の読者だとよく言われる。単なる読者なら、面白かったとかつまらなかったとか率直に言えばいいが、編集者には原稿をきちんとした本にして世に送り出す責任があるから、単なる感想だけではすまない。むろん著者もそれは理解していて、たいてい「気が付いたことはなんでも言ってください」と言う。しかしほめられて怒る人はいない代わり、問題点を指摘されていい気持ちの人もいないから、言うほどそれは簡単ではない。
たとえば、たくさん書き過ぎた人がいるとする。そういう原稿を普通の大きさの文字で組むとなると、相当分厚い本になるので、読む側からすると、よほどでないと読む気を起こさない。だからといって、ページ数を抑えるために小さな文字にして行間を詰めたりすれば、本を開いたとき文字がびっしり入っている状態になって、読者は読む気にならず、入り口でつまずいてしまう。したがって、そういう原稿はできるだけ削り、ゆったりと組んだ方がいい。
私も書く仕事をしているので著者の気持ちは痛いほどわかるが、文章を一行書くにも苦労し、時に取材をしたり、資料を買ったりすることもあるから、どこも削りたくないという気持ちが強い。しかし、せっかくの努力も読まれなければ意味がない。
また歴史に関する原稿で、正確を期すあまり、古文書からの引用の多いものもある。文章は硬いままだし、漢字ばかり目に付くので、これも読む気を起こさない。現代語でやさしい表現に変えれば、読者層の幅はグンと広がる。
書くという行為には忍耐が要るし、時には「こんなものを書いて意味があるんだろうか」と挫折しそうになる心を、自負や自惚れで克服しなければ原稿を書き上げることはできない。編集者は、そういう孤独で困難な作業をやっと終え、さあ、いよいよ出版という段階に来た著者の前に立ちはだかる壁のようなものである。しかし、それを乗り越えない限り、多くの読者と巡り会えることは決してない。言うなれば、編集者は書き手の味方でありながら、一番厳しい読者なのである。(2013.5.12掲載) |