先日、ある知り合いのカメラマンのホームページを見る機会があった。たくさんの写真を見ながら、発行人と二人、「きれいねえ」「ずいぶん巧くなったなあ」などと話したのだが、「でも、なんか物足りないね」という話になった。人を撮っていても風景の一部という感じだし、アップで撮った写真も肉薄(にくはく)してこない。「原田さんと違って、さらりとした感じだね」という感想で一致した。
原田さんとは、宇和島市在住の原田政章さんのことである。『由良半島』『宇和海』『段々畑』の写真集を当社で再版したいというお話から、ご縁ができた。愛媛出版文化賞や特別賞を受賞した作品なので、「できれば印刷に立ち会ってもらえませんか」とご本人にお願いしたのだが、「おたくに任せる」の一言で私たちが印刷現場に入り、刷り上がりをチェックした。
原田さんの写真は、今では見られない生活や風俗、風景を「記録」として残したその重要性は言うまでもないが、私は対象に向き合う原田さんの視線や、撮られる人の声が聞こえてきそうな、カメラを挟んだ人間同士の交流が好きだった。
私が一番好きな写真は、『由良半島』の中に入っている、お盆で帰省する若い娘さんの姿である。真っ白なスーツと白いサンダルを履いて船のデッキに立つ娘さんは、都会に働きにいっているのだろう。髪には流行のパーマもかけ、目いっぱいのおしゃれをしているのだが、顔は南予の娘さんそのものといった純朴な風貌である。「ああ、こうやって、みんな故郷(ふるさと)を出て働きにいき、お盆やお正月には弟や妹たちにたくさんのお土産を持って帰ってきたんだな」と、私はその一枚の写真を見ただけで胸がいっぱいになった。
集落に沸くようにいたたくさんの子ども、帰省した子どもの家族を迎えにいった父親がカゴにボストンバッグを入れて担ぎ、港から段々畑の道を越えて帰る姿。写真集にある風景は、私が知らない世界のはずなのになぜか懐かしいのは、貧しいながらもみんなが助け合った、穏やかな時代の空気が流れているからだろう。文章も時代の変貌を鋭く捉えていて、一度原田さんに「文章がうまい」と褒めたら、いつもは厳しい顔が少しゆるんだ。
(2013.6.14掲載) |