運転免許の話

 私が車の運転免許を取ったのは、40歳を過ぎてからである。取材のときはカメラマンの車だったし、私用のときは夫が運転してくれたので、あまり免許の必要を感じなかったというのもあるが、本当を言うと、運動神経の鈍い私が今更免許を取るなど無理な話で、一生、免許なしで終わるだろうと諦めていた。
 ある時、知人のMさんと話していると、「人間なんていうのは、道が右に曲がっていれば自然に右へハンドルを切るし、左に曲がっていれば左に切るもんだ」と言ったので、「そうか!」と目から鱗(うろこ)が落ちる気がし、一念発起して教習所に通うことになった。それを知った別の知人が、「なんで今更?」と聞くので、その話をすると、「それじゃあまるで、猿でも運転できるみたいな話じゃないですか」と一笑に付されたのだが、ともかく私は真面目に教習所に通い、仮免も本免許も一発で受かり、合格消しゴムをプレゼントしてくれた当時小学生だった息子の尊敬を一身に集めたのだった。
 意外なことに、私が合格したことを聞いて一番驚いたのはMさんで、「その年で受かるとは快挙だ。お祝いに一席設けんといかん!」と祝賀会でも開きそうな勢いだったので、私はなんだか複雑な気持ちだった。
 車でどこにでも行けるようになった私は、大げさかもしれないが、自立したような気分だった。行動範囲がぐんと広がり、出版社を立ち上げてからは、知りたいことを自分の意志で調べに行けるようになった。県内なら南は愛南町、東は四国中央市と、県域の端まで運転して行った。免許を持っていればそんなのは当たり前かと思っていたが、西予市野村町へ行ったとき、「女の人が一人でここまで来るなんて、大したものですよ」と言われ、そうなのかとなんとなく嬉しかった。
 思えば、運転免許を持たなければ、私のライター人生はもっと早く終わっていたかもしれない。人間が頭のなかで想像したり、文章を読んで知ることには限界がある。現地に立ってわかったことはたくさんあったし、感じることも多かった。また、自分で写真を撮って本を作ることで、著書も増えていった。いろいろ失敗もあったが、人の一生は限られている。思ったことはやらないと損だ。(2013.8.9掲載)

1.ライター稼業40年 2.地方のライター 3.ジ・アースとアトラス 4.アトラスの思い出 5.単行本第1号
6.調べる楽しさ 7.出版というオバケ 8.平均的読者像とルビ 9.文化の喪失 10.編集って、何
11.義士祭とベアトの写真 12.泣かせてしまった本 13.後に続くことば 14.原野に挑んだ人 15.視覚化の醍醐味
16.本の「顔」 17.書く力とは 18.文化財修復と犯罪 19.読む力と想像力 20.木蠟は何に使われた
21.宇和島のヘルリ 22.図書館とのおつきあい 23.サイド・バイ・サイド 24.土井中照さんのこと 25.本のお土産
26.予期せぬ出来事 27.題字は大事だよ 28.生きてるだけで丸儲け 29.掲載ビジネス 30.牛島のボンちゃん
31.おじいさんの自慢 32.編集者の言い分 33.書いてくれませんか 34.隈研吾さんと南京錠 35.幻の出版物
36.高島嘉右衛門と三瀬周三 37 声が聞こえる写真 38.翻訳 39.骨のある出版社 40.男っぽい文章
41.人生のダイジェスト 42.どう書いたら…… 43.消える仕事 44.近欲の風潮 45.運転免許の話
46.目に見える被害 47.過疎の町にパティシエを 48.講演は苦手です 49.カッコ付き市民の意見 50.父の信号
51.文化の繰り上がり 52.出版社の存在意義      
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