高知に梅原真さんというデザイナーがいる。この人は高知の物産を全国に売り出すために、ユニークなパッケージデザインをしたことで知られるが、「とさのかぜ」という高知県の広報誌も編集していた。広報誌にしては型破りで面白い内容だったが、五十号ほど発行されたころ、予算がなくなったとかで廃刊されることになった。しかし県民から非難ごうごうで、「あれはやめたらいかん」というすごい数の投書で続刊になった。
梅原さんの著書に、この「とさのかぜ」について書いたところがあり、それによると、最初はどうも県の担当者と編集方針が食い違っていたらしい。侃々諤々の議論をして、梅原さんがいくら言っても駄目なので、ついに、自分はもうこの仕事から降りてもいい、そして、ここから先は県民の意見だと言ったらしい。実は私も愛媛県の広報誌を編集したことがあり、梅原さんがキレルのもなんとなく理解できたので笑ってしまったのだが、梅原さんが、ここから先は県民の意見だと言ったのは、そう言った途端、相手は公務員の立場になり、公務員は県民に奉仕する存在なんだから、言いたいことを言わせてもらうと立場が逆転したわけである。いかにも高知人らしい反骨精神である。
先日「はだしのゲン」というマンガが、ある市民からの申し入れが発端となり、松江市の学校図書館で閲覧制限される騒動があった。全国から抗議が殺到し、閲覧制限は撤回されたが、そもそもその市民とはどういう人物なのかと、疑問に思った。市民である以上、個人の思想信条には誰も立ち入れず、当然報道もされなかったのだろうが、このマンガに異を唱えたことからして、カッコつきの市民であることが推測される。
民主主義の社会にあっては、たとえ一人の意見でも尊重されなければならない。しかし、市民とか県民という言葉は、良きにつけ悪しきにつけ力を持ち、時には手段として使われることもある。一市民、一県民の意見に耳を傾けながらも、何が正しいのかをきちんと把握し、決断する必要があるのだと思うが、今回は早々に撤回したことで、そこに至ったプロセスが見えず、釈然としなかった。(2013.9.6掲載) |