佐島精錬所(明治精錬所)
愛媛県八幡浜市(現)の佐島にあった銅製錬所のありし日の勇姿である。
佐島精錬所は明治26年に、地元有力者の共同出資にて操業を開始。
明治40年4月からは、明治製煉株式会社の所有となり大々的に操業を拡張した。
鉱石は、当時、別子銅山に次ぐとまで人口に膾炙された大峯鉱山をはじめ
八幡浜周辺や三崎半島に点在する多くの鉱山から運び込まれる買鉱が充てられた。
もっとも賑やかであった大正3年度の従業員数は、男女あわせて263人、
同年度の製品価格は、87万4713円となっており、当時の盛業ぶりが偲ばれる。
大正8年に閉鎖された後は、二度と操業を再開することもなく現在は全くの無人島である。
今も島には、鉄骨むき出しの溶鉱炉の廃墟が残されているが、寺西氏によると
旧別子の高橋溶鉱炉に使用された「円筒炉」ではないだろうか、との事である。
「円筒炉」は明治12年、かのルイ・ラロックの進言により、高橋と惣開精錬所に導入された
別子初の洋式精錬法である。彼の「目論見書」には、その詳しい設計方法と設計図が残されている。
もし、それが正しければ、佐島の廃墟は大変な近代産業遺跡ということになる。
なんらかの保全と保護策が講じられることを切に祈る次第である。
(寺西啓容氏訪問記 山村文化第7号所載 平成9年 を参考にさせて頂きました。)