ESSAY
 


  現実原則再び

 今年も梅雨入り、蒸し暑い日が始まりました。幼稚園の周りの風景は、確実に初夏から梅雨に移っています。幼稚園の前の田んぼには水が引かれ、やがて、トラクターや田植えの機械の音か゛早朝からひっきりなしに聞こえています。もちろん幼稚園の中でも梅雨を思わせる変化をあちこちに見つけることができます。アジサイの花が少しずつ色づきはじめたり、園児たちがカタツムリを見つけたと騒いでいます。そんな中、今年は久しぶりツバメが産卵しています。ツバメの巣はもう五年も前に、突然、軒下の屋外スピーカーの後に作ったものなのです。場所は良いのですか゛、いかんせん、スピーカーの後ろです。毎日のように音楽をかけ、その振動で十分ヒナがかえらなかったりするので、いつしかツバメたちもこの巣で産卵しなくなってしまいました。

 泥と草で作った灰色の巣だけが残っているのです。しかし、今年は久しぶりにつばめ夫婦が住み着いたみたいです。スピーカーの振動で卵を生むのか、卵がかえるのか心配だったのですが、そんな心配をよそに、巣の中から黄色いくちばしがいくつも見え始め、やがてピーピーとうるさいぐらいのヒナの鳴き声か゛聞こえてききました。

 子供たちも興味を持ち、毎日巣を観察するようになりました。教室の廊下から、ちょうど目やすい位置に巣があります。どの子もツバメの子育てを見るのは初めてなのでしょう。親ツバメがえさを運んでひなに食べさせる様子や、ひなの糞を巣の外に捨てる様子なども注意深く見ているようです。そんな中で親ツバメがトンボを運んできました。トンボは少々羽をばたつかせています。しかし、やがて黄色いひなの口の中に取りこまれていきます。ひなの口からトンボの羽がはみ出していますが、やがてその羽も口の中へと取り込まれて見えなくなりました。小さな蚊や昆虫の場合、よく見えないのでツバメのヒナが何を食べているのかそれほどの注意や関心を持ちませんでした。しかし、トンボとなるとどうしても目につきます。その光景を1度ならず何度も何度も見かけることができました。考えようによるとなかなかグロテスクな光景でもあります。ヒナの口からムシャムシャという音が聞こえそうときもあるくらいです。

 しかし、生物が生きるということは、外界から食物をとること、それを消化し燃焼させて生命を維持することです。もちろん人も同じ行為を行っているわけで、例外ではありません。これは、現実の原則なくです。生命を維持することはとりも直さず他の生命を犠牲にすることにほかならないのです。われわれ人間は、普段それほどそのことを意識はしていませんし、犠牲になる生物のが命を絶たれる光景を見ることはまれです。しかし、この現実の原則は確かに行われているのです。ツバメのヒナがトンボを食べるという行為を見ながら、子供たちがそれに気づいてくれたら良いと思います。そして、もう一歩進んで、命の大切さ、自分の命が多くの命を犠牲の上に成り立っていることに少し気づいてくれたら、きっと生命の尊さ大切さを解ってくれるのではないかと期待しています。

 われわれ人間が、自然とすべての生物の命とかかわりを持って生きていること、この自然の循環の中で生きていることを認識できるようにだったとき、子供たちは、自分を取り巻く生命や環境がいかに大切なものであるかを知るようになると思います。この子供たちは21世紀に生きる人間たちです。

 5羽いたツバメのヒナたちは、すべて無事に巣立っていきました。後には、また元のままの灰色の巣が静かにあるだけです。
 


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