ESSAY
 


    犬  少し先を想像する能力

 当たり前のことを書く。当たり前すぎて読む人には、なぜこんなこと書くのかと思う人がいるかもしれません。とにかく書きます。

 犬を飼っています。二匹。一匹は私が飼っているポインター、少し雑種ですが、ポインターです。上の子が友達の家でポインターの子供が5匹も生まれたので貰ってくれと言われてそのまま連れてきてしまいました。生後3カ月ぐらいで、わが家にきました。とてもかわいく家内も子供も大喜びでわれ先に子犬の世話をしていたものです。しかし、えさを食うは食うは、やがて半年もすると体調は1メートル近くになり、じゃれ合って飛びつこうとすると子供など倒れそうになるのです。やがて家内も子供も世話しなくなりました。とうとう私が飼うことになりました。散歩などとても子供や女性では難しいくらい力が強く、油断するとあらぬ方向へ引っ張られて倒れそうになることがあります。

 それでも、もうこの犬との付き合いも7年目になります。人間なら私と同じ中年男性というところでしょうか。生き物は飼えば情が移るものです。私も犬を散歩に連れていけない日は、何となく後ろめたく感じたりするのです。番犬としてはとても良い犬で大声で吠え、初めての人がたいてい驚きます。

 長い間飼っていると、犬の鳴き声でだいたい犬の要求をわかります。えさを欲しいときの鳴き方、相手にしてほしいときの鳴き方、番犬として相手を威嚇するときの声など、ほとんどを聞き分けることができるようになります。 そんな鳴き方の中でも、1番切実な鳴き声は、水が欲しくなったときの鳴き声です。これは、真夜中に寝ていても、何とも言えないからだから絞り出すような鳴き声です。どんなに寝込んでいても、この声を聞くと、跳び起きて犬そばに行きます。行ってみると必ず水の容器が空になって転がっています。そこで、あわてて水を汲み犬のそばに持っていってやると、のどを鳴らして水を飲んでいます。えさは数日食べなくてもなんともないようですか、水は絶対に待てません。毎日世話をしているのですが、水を2個の容器に入れて犬の前に置いています。帰宅が遅くなったり、疲れて帰ったときなど、犬の世話をしない日があります。頭の中で「まだ水はあるだろう。」とか「えさは昨日2日分を与えているから大丈夫だろう。」と考えそのまま就寝するときもあります。時々、こちらの予想が狂って水の容器が空になっているときがあります。

 つい最近、気がついたことですが、昼間、家に帰って何気なく犬のそばへ行くと(人間ならは愛想笑いを浮かべお世辞のひとつも言うのでしょうが、犬ではそうもいかないので)寝そべっていた犬ものろのろ立ち上がって私の方へ近寄り体をすり寄せてきます。

 その時、2個の水の容器を見ると完全に2個とも空っぽになっているのです。ここで私が思ったのですか、犬は当然からになった容器を見ているはずです。しかし、今、現在、犬は水を欲していないから知らせようとしないのです。水が欲しいという本能的欲求が起こって初めて犬をは容器に気づき、その容器がからであることに気づきに、私を呼んで鳴くのだろうと考えます。確かに空の容器が目の前に転がっていても鳴いてもくれないのです。

 もし、人間なら早晩、水を飲みたくなったとき、容器に水がないから今のうちに容器に水を満たしておこう考えます。つまり、人間は少し先を予想し想像力を働かせ、先を考える能力があるのだと思います。このあたりが、人間と他の動物との決定的な違いであると思います。      
 


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