私見ではありますが?


点 幼い頃からの性格

羽根 幼い頃から、自分がこうだと決めるとその考えを変えることはありませんでした。 そういう時は返事もしなくなりました。いくら言っても、たとえ罰を与えたとしても (女の子でしたので、ほとんど体罰はしていません。例えば、暗い押入に入れたりしても) 変わることはなかったのです。あやまりさえすれば許すつもりでいても、「あやまりなさい。」と 何度言ってもあやまらず、罰を与えざるを得なくなるのでした。

特に、自閉症の児童にみられる、寡黙さがありました。(今もほとんど変わりはありません。) だれかに会ったとき、「おはよう」と言いなさい、と言っても、言おうと思わなければ(?)絶対に 言うことはありません。

このような表現が適切かどうかわかりませんが、非常に几帳面でもあり、色々な物は、自分が 置いてある場所から動いているのは嫌なようです。きちんとあるべき場所に、あるべき方向に なければ気が済まないようです。(私にもそのようなところがあります。)
また、神経質でもあり、小学校の後半には、円形脱毛となる程でした。この症状は中学生以後 現在まで、現れてはいません。



点 知的障害児となる?

そのような子を、先生がごく普通の子として扱っていたのなら、 「全然、自分の言うことを聞こうとしないどうしようもない子」と思えたに違いありません。
そのためか、小学1年生の時、担任の先生より知的障害があり、別のクラスで授業を受けるよう 宣告されました。相談ではなく、「そういったクラスで授業を受けなさい。」と 言われたのです。まだ、1年生として何ヶ月もたっていないのに...。
それまで、何かに付けやや劣るかもしれないとは思っていたのですが、 個人差の範囲だと思っていました。 (こういった知的障害も個人差であるという考えがあるかもしれませんが)

それぞれの性格をよくわかって接していたなら、もっと違っていたのではとも思うのです。 どうして、そう考えるのかと言うと、その頃から学校へ行くのを拒み始めたのです。 しばらくして、先生が産休で休まれました。それ以後は学校へ行くようになりました。
(先生が原因と言うつもりではありません。相性の問題もあるでしょう。 それ以外の何かがあったのかもわかりません。親は先生以上に娘について知っていたはず
であるにも関わらず、他の兄弟と同様のしつけをしていたのですから...。)

その後数年間にわたり、その頃(5月下旬から6月上旬)になると、学校へ行きたくないのか、 体調が悪く(熱が出たり、食べたものをもどす等)なり、1週間程度の入院をしたこともありました。



点 特殊学級でお勉強

ペン 娘は、小学校・中学校と公立の学校に通いました。 小学1年生の時を除いて、特別なクラス(知的障害児だけのクラスは、2年生からが対象 となっていました。)で授業を受けました。
体育・音楽・家庭科等は普通のクラスでの授業ですが、国語・算数・理科等は そのクラスで授業を受けるというものです。

能力的には劣るので、そういったクラスでの授業でもしかたない、と思っていました。 普通の子に迷惑をかけることがあるかもしれないからです。特に異常な行動はしません。 一緒にいたなら、ただ、だまって座っているだけでしょう。。 それでも、他の生徒の勉強のじゃまになる可能性があるからです。 いつか、普通になる(なって欲しい)、と願っているだけでした。

我々が何もせずにいたわけではありません。色々なことを体験させたり、児童相談所へ行ったり。 (ただし、児童相談所では何も得ることはありませんでした。ほとんど相談になりませんでした。 「家庭内暴力とか、登校拒否等は相談にのれるのですが...様子を見ましょう。」 と言うだけでした。行政というのはこんなものなのでしょうか?それとも 担当者が悪かったのでしょうか?)



点 養護学校へ

望めば、私立の高校へ通うことも可能だったかもわかりませんが、 この場合も、他の生徒の勉強のじゃまになる可能性があることや、 高校生の生活の中での悪影響を考えて、養護学校を選びました。

なかには、普通高校などへ通うことを望んでいる方もいるようです。 しかし、少なくとも他の方々の大きな犠牲がないだけの能力を持っているべきだと思います。 (大きな犠牲とはどの程度かと言われるとはっきりとは、わかりませんが)

人は1人で生きているのではない、といいますが、1人だけでもある程度は生活できる能力を 持っているべきだと思います。そうでない方はやはり、養護学校等への道を選ぶべきだと 思います。その方が、本人の為でもあるように思います。 ほとんどが、何もわからず、ただ座っているだけの時間になるはずですから、その間少しでも 能力を伸ばそうとする方が良いのではないでしょうか?



点 障害者の父として思うこと

父 障害者の中(又はその親)には、国や一般の方々が障害者に対し手助けをしてくれるのが、 当たり前だ、と考えている方がいらっしゃいます。私はそう考えません。そうしてくれるのは 「とてもありがたいことなのだ」と思うのです。

義務を果たすことのできない者が、権利だけを主張してはいけない、と常々考えています。 (他の場面でも、現在の社会において、権利だけを主張する人が多いようにおもいます。) そうして欲しい気持ちは私にもあります。しかし、それに甘えてはいけない、と思っています。 少しでも、それらの善意を頂かなくてもいいように努力すべきだと考えています。

「療育手帳」なるものも、つい最近まで、とっていませんでした。 就職に必要だと言われてとったのですが...。



娘は今、就職浪人です。そうでなくても就職難だと言うのに...。
(この経緯については、「お仕事を探しています!」に掲載しています。)





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