【南海治乱記】・・・大永三年六月十八日、寒川郡下道三郷の境諍に依て安富筑前守、不意に兵を発し寒川太郎元政が領分、常憐の城を攻。城主、神前出羽目能く防戦し、安富方の兵士十余人、步卒百人許死亡して引退く処に城兵戸を開て突出し、塩木に於て合戦し、死を到し疵を被る者亦多し。彼我、戦卒相引にして還る。是を塩木合戦と云也。

           細川頼之の武徳五世にして衰廃し、朋友交々(こもごも)利を諍ひ、阿讃の内に兵革起るときは、何を以て天下の大事に敵(あた)らんや、四国の傾敗も亦隣(ちかき)にあらん。

 

 

 

 

 

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