実際の登山とともに、山岳書をひもとくこともまた楽しいことです。登山は一ヶ月に一回しかできないので、毎日のエンピツ登山もわれわれの大きな活動の一つです。かの大家,藤木九三氏は
「私の読書癖は時として事実上山に登っている際にも増した心の高まりを催ふす
そして私達の如実と信ずるところの足を以て山頂に立つ事よりも、
アルパインブックを通じ、地図を按じて心で登高を企てる場合の方が、
時にとって真実のクライミングである気がする」
と述べられています。われわれも山の会結成以来、そんな会員の需要に応じるために四国の山岳書を苦労して収集してきました。ここでは、その中から代表的な名著を紹介したいと思います。一般書店では入手しにくいものばかりですが、機会があれば、ぜひご覧になってみてください。
また、新たな感動と発見で、美しい四国山岳を見直すことができるものと確信いたします!
四国山岳 第一輯 昭和12年刊 朋文堂
本書は,北川淳一郎、片岡亀寿氏をはじめ、当時の愛媛県を代表する執筆陣が個性豊かな文章で綴った石鎚山系の登山記録集で、今読んでも、古さをまったく感じさせない。冒頭の「凡ての山にはそれぞれの個性、即ち人に人格があるやうに「山格」がある。」という北川氏の言葉は、深田久弥に強い影響を与えたと伝えられる。藤木九三と先陣を争った、倉橋宗由氏の“冬の石槌登攀”、40頁に及ぶキャンプ謳歌である北川氏の“瓶ヶ森行”、瓶ヶ森ヒュッテ、幾島照夫氏の若き日の“夜の石槌登攀”などなど、何回読んでも飽きることがない。このようなすばらしい本が、現在、まったく入手困難であることはかえすがえす残念なことである。東雲書店のご主人である西本氏が一度、復刻を計画したが、執筆者が多く、著作権の問題であきらめたといういわくを有する。とにかく、四国山岳書の名著中の名著であり、図書館などで、ぜひご一読をおすすめしたい。
ちなみに第二輯以下は未だに発行されていない。四国アルプス(復刻版) 北川淳一郎著 平成4年刊 東雲書店
四国山岳書は、本書をもって嚆矢となす。独特の味わいのある文章と、ドイツ仕込みの哲学的思索は、読む者をしらずしらず四国アルプスの虜にしてしまう。原本の発行された大正14年は、北川氏が、旧制松山高等学校の教授として赴任して6年目にあたり、文章の節々に若い力と、その喜びがみなぎっていて実に面白い。“石槌山記”は、近代的な総合地誌としても、よくまとまっており、おそらく最も古いものの一つであろう。本書は、平成4年に松山の東雲書店、西本俊彦氏のご尽力により復刻され、今日でも入手することができる。当、山の会でも、大正14年の原本と、復刻版の特装本、並装本の三冊を保有しているが、原本はあまりに貴重なため閲覧不可、特装本は袋とじのため破って読むには惜しく、結局、並装本の一冊のみが諸氏の需要に応えている。同じく、東雲書店から平成5年に出版された「四国山岳夜話上、下2巻」も北川氏の登山人生のエッセンスが詰まっていて、高い価値を有している。
愛媛の山岳 北川淳一郎著 昭和36年刊 松菊堂
以前、この本を手に入れたときは、本当に狂喜して我を忘れた。美しい装丁が実に印象的だ。序文に「清らかな愛媛の山に、清らかな情熱を持つ若き愛媛の岳人だちに、四〇年の昔の草分け時代のことどもを知っておいて貰いたい。これが私の念願であり、またこの稿をまとめたいわれでもある。」とあるように、本書は、石鎚山系をはじめとした初縦走の記録の再録が大半を占める。篠原曇華がまとめた有名な「四国アルプス縦走記」(大正12年)も、愛媛新報の原文のまま載せられている。そして、その感動の上に、著者は「私は、本当に幸せだった。」としみじみと語るのである。スカイラインやロ−プウェイなどで、石鎚の深い山々は亡び去ったが、今も本書の中に本当の“山”が脈々と息づいているのをしっかりと感じ取ることができるバイブル的な名著である。四国の若い岳人に絶対おすすめの一冊である。
いしづち(松高山岳史) 昭和42年刊 北川先生喜寿記念会
北川淳一郎氏の喜寿を記念して発行された、松山高等学校山岳部の詳細な登山記録集である。520ペ−ジの大部で一気に読破するには一寸疲れるが、その充実度にはおもわず唸ってしまう。とにかく昔の人はよく歩いたものだ。今、同じル−トを辿れば、登山口まででヘバッてしまうだろう。マイカ−を使う現代人とは所詮、気合いが違うのだ。それでも、我々の登山計画の際には、よく参考にさせてもらっている。最近では、石墨山の赤鬼法性院という行者のミイラの所在について、昭和15年5月の記事は大変参考になった。これだけ詳しい記述は私の知る限りではない。ただ、50年も前の話しなので、現物は発見することができず、大変残念に思っている。本書は、もう30年も前の発行であるが、今でも古書店などで、ときどき見かけるので、案外、入手しやすいかもしれない。
石鎚連峰と面河渓(昭和10年版) 秋山英一著 いはつち文庫出版部
西条の郷土史家、秋山英一氏の不朽の名著である。石鎚山に関する総合的解説書であるが、特に歴史の記述は詳細で瞠目に値する。後年の昭和42年、さらに充実した内容で、「石鎚神社一千三百年史」が発行されたが、石鎚山の人文書として、この右に出るものはおそらく存在しないであろう。本書は、各種登山ル−トの解説も充実しており、笹ヶ峯や赤石連峰にまで記載が及び、実際に足で確かめたコ−スタイムは今でも充分参考になる。また、後半は石鎚山の文学が朗々と語られ、この本一冊を持って山に登れば、石鎚博士となれること請け合いである。これも、秋山氏の数百回と言われる石鎚登山と、河東碧梧桐をはじめとする文人との深い交遊がなせる賜物であると、ただただ敬服するのみである。氏のような先賢の存在は、岳都西条市の誇りであるとは、我々が常々語るところである。
四国路の旅 松長晴利著 昭和39年刊 山と渓谷社
愛媛山岳連盟の大御所、松長氏の代表作の一つ。現在、広く流布している同社の「アルペンガイド 中国・四国の山」のル−ツをなす。表紙を見ただけでは単なる旅行ガイドにしか見えず、前半は各県の名所旧跡の一般案内であるが、途中から突然、四国山岳の詳しい登山書に変貌する。石鎚山系、剣山系、南予の山々をカバ−し、かの「四国アルプス初縦走」や愛媛大学山岳会の四国山脈全山初縦走(昭和35年)にまで触れて、余すところなく四国の山の魅力を語り尽くしている。その淡々とした文章と、無駄のない要を得た案内文は、北川氏をして「生粋の山岳人」と言わしめたお人柄がにじみ出ているようで実にすがすがしい。残念ながら、これに続く版は、執筆が作家の西村 望氏に変わり、アルパインガイドとは名ばかりの一般旅行案内になってしまった。今は昭文社の「山と高原地図」が氏の精神を受け継いでいる。
四国の山と谷 松長晴利著 昭和34年刊 朋文堂
戦後、発行された山岳ガイドの先駆をなす朋文堂の「マウンテン ガイドブック シリ−ズ」。若者の山岳熱が次第に高まり行く昭和34年に、シリ−ズ第32弾として刊行された。ある意味では前掲の「四国路の旅」のプロトタイプともいえるが、本書の方が詳しく内容的にも充実している。しかし、絶版になってから久しく、現在、入手することは至難の業である。古書店のおやじさん曰く「ガイドブック類は、登山の目的を達成すると用済みで、いつの間にか捨ててしまったり、無くなってしまうものですよ。売っても安いからね。その意味では単行本より入手が難しい!」と。つい、この前、ある古書店になにげなく並んでいるのを見つけた。値札450円。嬉しくて嬉しくて人目を憚らず、つい万歳を叫んでしまった。次から次へと山岳書の大型出版を手がけ、私たちに登山の感動を教えてくれた、今は無き朋文堂。現在、「四国の山と谷」を凌駕するガイドブックが、どれだけ存在するだろうか。今も我々の心に朋文堂はしっかりと生きているのだ。
石鎚山系の自然と人文 昭和35年刊 愛媛新聞社
愛媛大学を中心に大々的におこなった石鎚山系の総合調査報告。後に続く最近の自然関係書は、多かれ少なかれ本書からの引用が多い。「登山」の項は、愛媛大学教授の山内 浩氏が執筆しているが、惜しむらくはそのペ−ジ数が少ないことである。しかし、山内氏の代表作である「愛媛の山と渓谷 全2巻」は今もロングセラ−を保っており、面目躍如たるものがある。この前、堂ヶ森に登ったとき、登山道の脇に残骸をさらす荒れ果てた「山内小屋」を見て、本当に悲しい気持ちになった。氏がこの小屋を建設したのは遭難を防止するためであったと述べておられるが、もう、この小屋は人を助けることはできないのだと思うと、氏の精神までが風化してゆくように感じたからだ。その「お互い助け合い、親切にして、思い出に残るいい山登りを」という素朴な願いをいつまでも失わないようにしたいものだ。
落葉松 昭和38年〜44年 住友化学登山部
これは単行本ではなく、住友化学登山部の部報である。山の会の所有する原本は写真の38年版だけであるが、他の巻もどうしてもみたくて、知人に頼んでコピ−させてもらったのだ。和気あいあいとした雰囲気の中にもかなりハ−ドな登山内容、指導員や国体のための錬成登山や岳連での訓練のかずかず。その一つ一つが、多くの部員によって個性豊かに綴られている。これも、登山部長 石村修二郎氏の統率力とお人柄が影の力になってのことと思うが、氏が「わたくし達は登山者である前に、まず立派な社会人でありたいと願う。」と述べられている通りに、仕事と部活を見事に統合できた当時の健全な精神がその登山姿勢にもよく現れていて、同じ喜びを分かち合えた部員たちを本当に羨ましく思う。2年前、10年ぶりに13号が発行され、「山と渓谷」でも紹介された。いつまでも続刊を希望してやまない。
四国の山旅 赤石山系 伊藤玉男著 昭和34年
銅山峰ヒュッテ 伊藤玉男氏の代表作。これはその初版本(非売品)であるが、昭和38年の改訂増補版(秋月運動店発行)、「赤石山系の自然」(昭和46年〜)「えひめの山旅 赤石の四季」(平成8年〜)と改訂を重ね今日に至っている。赤石山系は別子銅山やその特異な地質学的特性などから、その自然、人文ともに複雑であり一回や二回の登山ではとてもその神髄を垣間見ることはできないが、このガイドブックは簡潔にその概要を纏め、四国の岳人を惹きつけてやまない赤石の魅力とは何かをビィビィッドに語りかけてくる。「環境庁長官表彰」に輝く同氏のさまざまな業績の方向性を明確に位置づけた自費出版であり、山に懸ける若き日の気概を充分感じることができる。登山道や宿泊施設は、すでに過去のものも多いが、それだけに歴史的な価値も高い。この貴重な本は、石村修二郎様より山の会に寄贈された。大切に活用してゆきたい。
西条誌(復刻) 日野和煦著 昭和9年版 西条史談会
江戸時代の石鎚山系の風土を知る唯一の資料であるのみならず、天保年間に実際に石鎚山、瓶ヶ森、笹ヶ峯に登山しているところに大きな意味を持つ。特に笹ヶ峯では遭難寸前まで追い込まれ、その切迫した状況が克明に記述されており興味深い。また数々の挿絵もよく見ると大変正確で、石鎚の大鎖の図では今も昔も変わらずに人々が必死によじ登っている姿が微笑ましい。その他、今はことごとく廃村となった奥山の生活がリアルに描かれていて、土佐側の「寺川郷談」とともに貴重な民俗史料である。石鎚の全てを極めようとする人にとっては必読書となっている。山の会所有の昭和9年版は、500部限定出版で現在入手は困難であろうが、昭和57年に新居浜郷土史談会から注釈付単行本が発行されている。ただ、一部、挿図の差し替えがあるので、原本の持つ味わいが多少損なわれている感は否めない。
剣山 福家健二編 昭和38年刊 徳島郷土双書2
我々のホ−ムグラウンドが愛媛県であるため、他県の登山資料はまだまだ少ないが、徳島県関係で異彩を放つ一冊。著者は、昭文社 山と高原地図「剣山」の調査執筆でも知られていて、徳島山の会の重鎮をなす。とにかく、一つの山について、これだけ百科全書的に、それでいて簡潔にまとめている書は少ない。戦前に同名の書が、飯田義資氏(羊我山人)によって出版されているが、江戸時代からの剣山関係文献の紹介(剣山書誌)が大半を占め、近代的登山書としては、やはり福家氏の「剣山」を一番にあげたい。登山の心構えからはじまって、各種コ−スの説明、三嶺への縦走、冬山登山までスケルトン図を用いての解説は、親切でわかりやすい。続く「阿波の山」、「阿波のハイキング」の一連の出版で、見事な三部作を完成している。ちなみに、これら3冊は徳島市の会員 佐藤 学氏により、山の会に寄贈された。
山の足跡 三谷啓保著 昭和61年刊
高知県の「山と野原の会」 元会長 三谷啓保氏の登山記録集。四国全土にわたる1300回に及ぶ登山コ−スタイムが、簡単な山の説明とともに要領よくまとめられている。氏は、「四国百山」で鶴松森の項に登場されていて、ご高齢ではあるが、恐るべき健脚の持ち主であるらしい。たとえば、「寒風山、笹ヶ峯」でのコ−スタイムの一つ 五時高知−八時三十分長又(一ノ谷の上流)−十一時三十分寒風山−十二時笹ヶ峰−十三時冠山−十四時平家平−十八時高藪(本川) など真似もできそうにない。まあ、このような、かもしか縦走は特殊な部類で、一方ではハイキングのようなものまでも網羅されており、今も大変、参考になる。山と、そのコ−スの多彩さは、本会が四国を代表する山の会としての層の厚さを示すものとして、強い憧憬を感ずる。ただ、氏の寂しげな意味深な”あとがき“は、少々、気になるところである。
四国山脈 昭和34年刊 毎日新聞社
高知県側の視点からみた「四国山脈」の総合解説書。山岳の項は、はじめの40頁にわたって詳述されている、石鎚、赤石山系も含まれていて、じつに楽しい。そんな話を一つ。剣山と三嶺の中間点に「伊勢の岩屋」と呼ばれる場所があるが、なぜ、そう呼ばれるかご存じだろうか。実は、伊勢とは、江戸時代に、韮生側から、白髪山を通って剣山まで道を開拓した人の名前なのである(「森と木と人と」(高知県緑の環境会議)にも記載あり)。また、三嶺の大蛇伝説や、塔の丸付近の奇妙な女性のもてなしの風習(「山のはなし」 伊藤玉男氏著にも記載あり)など、次第に忘れ去られてゆくさまざまな山の由緒が語られていて、限りない郷愁を感じることができる。そんな本書も、頁が進むにつれて政治、教育、県民性にまで話が飛躍して、混沌の中で議論が終わっている。とにかく、土佐の“イゴッソ−”がよく現れている名著ではある。
本川郷の山々 昭和57年刊 本川村教育委員会
本川村が、全国高校登山大会のため昭和57年に発行したガイドブック。「高知の登山」「高知のハイキング」でお馴染みの山崎清憲先生が中心に執筆されている。さすが地元発行だけあって、各山の伝説、歴史、民俗にとても詳しく、小冊子とは思えない充実ぶりである。伊吹山の「鷹ドヤ三バイ坊主岩」、寺川の「シレイ谷考」、自念子ノ頭の「耳塚」など知識をつけて登山すれば、何回も登った山でもまた違った感慨が得られるであろう。”真打”を努める「大森山」は紹介されることもないマイナーな山だが、「礫ヶ滝」と呼ばれる断崖は平家の悲しい伝説を持ち、本川の人々がもっとも慈しむ山である。なぜ”トリ”なのか、この本を読めばおのずと理解することができる。当時の高校生たちも、遙かな大森山を望みながら、限りない郷愁に涙したことであろう。そんな素晴らしい本だが、現在、まったくの絶版である。当会所有の本は、無理を言って最後の一冊を譲っていただいたもので、関係各位に心より感謝いたします!
四国百山 昭和62年刊 高知新聞社
そして、「四国百山」。書店には、いつも何冊か並んでいて、四国の山を目指す人の指南書の地位を揺るぎないものにしている。初版以来、十年を過ぎて、内容的には現在との“ずれ”を感じさせる箇所も散見されるようになったが、それはそれで“古典”としての価値が加わってきている証拠でもあり、今後も、深田久弥の“日本百名山”と同様、われわれの座右の書として存在し続けるであろう。さらに最近は、山と渓谷社から「アルペンガイド 中国・四国の山」や「分県登山ガイドシリ−ズ」、愛媛の安森 滋氏の「親子三代笹ヶ峰物語」や高知の山崎清憲氏、徳島の尾崎益大氏の一連の案内書や随想など、優れた書の枚挙にいとまはないが、それらの書は今も書店で購入できるので、ここでは、この程度に止めておく。