法皇山脈

 

愛媛労災病院南6階にある人間ドッグ部屋。誰もいない昼休みのひととき、私は、南に開かれた大きな窓から、屏風のようにそそり立つ四国アルプスの山並みを悠然と見つめる。最上階にあるこの部屋は、山好きの私にとって、恋人としばし語らうことのできる大切な秘密の場所でもあるのだ。法皇山脈あるいは赤石連峰とよばれる、この巍々たる山塊は、単にわが町の裏山というばかりでなく、限りない山への憧れを与えてくれる大切な心の拠りどころともなっている。今回は、この恋人達の素晴らしい横顔を簡単に紹介したいと思うが、彼女らは、必ず「〇〇一」と評価されるお宝を有しているので、とにかく個性豊かである。

 まず、東の端にある「赤星山」。かの西行法師が「西南の秀嶺」と褒め称え、伊予聖人「近藤篤山」をも育んだ美しい円錐型の山だが、日本の4大局地風の一つである風速60mを越すという「やまじ風」を吹かせる気性の荒さでも知られる。自動車をも飛ばすという、台風以上の凄まじさは、もちろん四国一で、松山自動車道の「魔のベルト地帯」となっている。

 次に、鋸のように聳える「二つ岳」。この山から「東赤石山」にかけては、強い変成岩の角閃岩と、超塩基性岩であるカンラン岩が入り交じる複雑な地質で、各種の鉱物に恵まれている。これらの山に源を発する関川の河原では、日本の鉱物122種のうち、実に47種が採集できるといわれ、西日本一である。また、山の背にあたる保土野谷は、日本唯一、ルビ−の産地として知られる。宝石としての価値は低いというが、その薄ピンクの淡い色合いは、乙女のはにかみにも似て愛らしく、隠れた人気を保っている。また、一月の誕生石であるガ−ネットは、角閃岩の中にゴロゴロしており、一月生れの人と結婚する場合は、指輪代を浮かせることができると評判である。「東赤石山」の東に位置する「権現越」といわれる場所は、その昔、「杣の平四郎」が三十三間堂を建てた功績として、後白河法皇から戴いた「日本一」のお墨付きを、刀とともに納めた場所と伝えられ、法皇山脈の名称のル−ツとなっているが、ここには、地下数100kmのところにあり、けっして地表に現れないとされるエクロジャイドの大露頭があり、地質学者の注目の的となっている。「太古の昔、このあたりが深海であった頃(いまは標高1400m もあるが)、どろどろに溶けたカンラン岩の中を、浮力によって地底から浮かび上がってきたのではないか?」と気も遠くなるような推定がなされているが、はっきりしたことはわからないという。ダイヤモンドを含む南アフリカのキンバレ−岩と似ているともいわれているので、ダイヤでも見つかれば、ちょっとすごいものとなるだろう。そんな珍重な石は、まだまだあるという。たとえば「東赤石山」に続く「西赤石山」の一角(遠登志付近)にある「カヤナイト(Kyanite)」(藍晶石の稀にみる巨晶)という鉱物はきわめて稀な変成鉱物で、ある意味ではダイヤモンドより貴重であろうし、また別子山の「地蔵岳」という場所にしか存在しない日本只一の鉱物は、はるばるアメリカからも地質学者が訪れ、当時の学者はこれを日本の誇りとしたという。

 そういうことを考えながら眼を移してゆくと、「西赤石山」の西側に今も赤茶けた山肌をさらけ出す「銅山峰」と呼ばれる一角があるが、これこそ東洋一の銅山として名を馳せた「別子銅山」の遺跡である。最盛期には山上に1万人が生活し、灘から杜氏を招いて酒や醤油まで自給し、なによりも一寒村であった新居浜を一気に人口10万人の工都にまで押し上げた「住友王国」の力は恐るべきものであったが、昭和47年の閉山とともに再び静かな山の眠りに就きつつある。これは、ある意味では望ましいことかもしれないが、一方では大変惜しいことだ、とも思う。物理学の研究施設として活用されている「神岡鉱山」のように、何か再生すべき道はないものかとつねづね思う。地下1000mまで掘られた大空間は、核シェルタ−として使用できないだろうか?あるいはヨ−ロッパの岩塩鉱跡のような大規模な貯蔵庫にはならないだろうか?などなど。最近、温泉施設を兼ねた観光用の坑道を作って再生化を図っているというが、あまりにちっぽけな展望でお話にならない。どうせなら、入坑した観光客の何人かは "never return" となるくらいな気合いで造ってほしいものだ。それくらいの実力は充分持っている鉱山だけに惜しいと思うこと切。

 おしまいは、西に聳える「黒森山」のふもとにあった世界一のアンチモニ−鉱山の「市の川鉱山」。ここからは美しい輝安鉱の稀にみる巨晶が得られたが、多くは海外に持ち出され、現在は大英博物館のものを最大として、世界の博物館に大切に保存されているというが、肝心の国内にはロクなものが残っていないという。なんという寂しいことだろう。高く売れるからと言って、大きな結晶はどんどん売り飛ばしてしまった結果であろう。日本の水準とはその程度のものである。金になればよい、という根底の思想は今も変わってないのではないか、とつくづく思う昨今である・・・

 チャイムの音が鳴って、ふと我に返る。ヤレヤレ、また午後の仕事だ。「今日も姿を見せてくれてありがとう。」と美しい彼女らにそっと別れを告げ、あたふたと部屋を出てゆくのである。

                     (写真:人間ドッグ部屋から望む黒森山の勇姿)