黒森山

 

 山々に残雪が鈍く光っていた平成8年4月6日の朝まだき。K、Hと私の3人は、静かに大野山林道に一角に佇んでいた。これから黒森山の大きな山体を越えて笹ヶ峯に縦走するのだ。このル−トは、かって笹ヶ峯信仰登山盛んなりし頃、往生院正法寺(新居浜市大生院)の歴代住職が心血を注いで改修してきた由緒ある古い道である。昭和10年刊の”石鎚連峰と面河渓”には次のように記されている。「駅(中萩駅)を出て渦井川を渡り、大生院村銀杏木の石鉄山正法寺に参詣する。この間十五町。寺より少し行くと上り坂となる。銚子瀧を探り、柿の成、中の成、上の成を過ぎ、大門、風穴、杖立、カタブキ、堂ヶ平等を過ぎて突兀たる黒森山に登る・・・」しかし、時の流れはすべてを過去のものとしてしまった。御住職は言う。「もう、道は残っとらんでしょう。安易な気持ちでは行かんほうがいいです。ハイキング気分で登れる山じゃないです。」と。しかし、こうも付け加えた。「途中、堂ヶ平という場所に笹ヶ峯のご本尊である石仏が2体ある筈だが、どうなっているか見てきてほしい。」

 最初は掘割のようなよく踏まれた道を進むが、次第に灌木が登山道に生い茂り、林の中を自由に登るほうが容易となる。鉄塔を2つほど過ぎ、ふたたび鬱蒼とした杉の植林地帯にはいってゆく。幽霊のでそうな壊れかけた造林小屋。右手に緩い斜面が拡がっている。そこを少し登ると横懸け道が見つかり、これを進むとほどなく小さな尾根にでた。多くの杖が立てかけてある。”杖立”とは多分ここであろう。いまも人の行き来が感ぜられて何かホッとする。横懸け道はさらに続き、小さな谷を越え、大きな尾根の突端に出た。一気に西の展望が開ける。「石鎚だ!」早春の曇天に神々しく聳える崇高な姿は、さすがに四国に冠たるに足る。しかし、感動も束の間。ここから道はプッツリと途絶えてしまった。眼前に延びる斜面をひたすら登るしかない。Hの足取りの速いこと、速いこと。私は、一歩一歩、鈍重に進むしかなく、殿りを務めるKに、済まぬ、済まぬを繰り返す。約1時間で斜面を一応、登り切って 1381mの三角点着。ここからしばらくは、尾根上の灌木帯を水平に進んでゆく。大小の枝をかき分けかき分け、進みにくいことこの上ないが、道がないのだから仕方がない。尾根の行き着く先が傾山のピ−ク。そこから、一度、狭いコルに下ってから、ふたたび堂ヶ平への斜面に取り付くのだ。この行程は、すべて労災病院から見晴るかすことができる。特に傾山から先の斜面は断崖のように見えるのでとても不安だ。正法寺の御住職も、その地点を一番、案じておられた。

 「K君よ。断崖だったらどうしょう。」

 「押せ、押せで下ってゆくしかないでしょう。」

 「・・・・・。」

 傾山の頂上は狭かった。数本の石標が打ち込まれているものの全くの藪の中である。往古はここにも行者道が通じていたと云うが、今は影すらない。おまけに案の定、断崖が行く手を阻んでいた。少し引き返して、急な斜面を滑り転びつつ下り、傾山の南面を捲く。荷は重いし、雪に足を取られるし、私にとってはなかなかの苦行が続くが、Kは早々と偵察を終え、我々をコルへと導いてくれた。ヤレヤレと安堵しながら藪の中のコルを過ぎる。しかし、再び”堂ヶ平”へのきつい直登が始まるのかと、些かうんざりしたとき、Hの明るい声が響いた。

 「道があるよ!」

 灌木に覆われてはいるものの、確かに古い登山道だ。少し行くと、急な斜面に石垣状に積み石して補強している場所に出た。厚い落葉と雪に埋もれ、もはや”道”としての使命は終わってはいるが、先人の努力と苦労が垣間見られて、とても悲しい気持ちになる。せめて、一歩一歩、慈しむように、ゆっくりと踏みしめてゆく。

 堂ヶ平への登りは、標高 1400mを越えて、笹の生い茂る坦々としたものとなる。苦しかった傾山が深い谷の向こうとなって次第に見下ろせる位置となる頃、小さなピ−クに立った。この辺りが堂ヶ平の筈である。石仏を探すも、それらしいものはない。藪に埋もれてしまったか?失望の色が濃くなる。先は、まだ長いのでゆっくりもしておられない。残念だが前進を開始しよう、と緩やかに下り始めたとき、2体の石仏は柔らかな日差しの中で静かに在していた。片足を上げた全く同じ蔵王権現像で、それぞれ”沓掛権現””堂成権現”と刻まれ、遠く石鎚山と対峙している。つい先年、ここが余りに不便な場所であるため、笹ヶ峯に遷座しようとしたところ、石仏がそれを荒々しく拒んだという、不思議な逸話を持つ。重畳たる四国アルプスを一望できる、静かな美しいこの場所を気に入っておられるのだろうと思いつつ、仏様の気持ちがチョッピリわかったような気がして、深い祈りを捧げた。静寂に包まれた満ち足りた時間がしばらく過ぎていった。

 ここから黒森山頂が指呼の間に望まれるが、実際は単調な登りが結構きつい。おまけに凍結した雪も深くなり寒さも増してきたようだ。石楠花の大木が多くなって、花が咲く頃はさぞ見事だろうと思った時、やっと第3ピ−クに辿り着いた。私の疲れも目立ってきたため、2人の勧めで昼食とする。暖かいコ−ヒ−を飲みながら山頂をよくよく見ると、東側が断崖となって深く切れ落ち、鋭角的にそそり立つ姿は、まことに石鎚天狗岳に似ていて面白い。実際、古くから”天狗岳、天狗岩”と呼ばれているところを見ると、先人も同じように感じていたのだろう。かの北川淳一郎先生も「黒森山の尖峰には私たちとても心を惹かれた。ここから見ると、とても嶮峻で頂上は錐のやうに尖鋭だ。地質は岩石六分で、光線の関係もあらふが、黒ずんで底きびが悪い。めづらしく男性的な独立山だ。とても、こちら側からはこの山、絶対に人間の近よることを許さない。」と述べておられるが、最近のアルペンガイドなどで紹介されることもほとんどなく、別子銅山閉山後は、ますます忘れられた存在になりつつあるようだ。しかし、安易な紹介によって、山がどんどん汚されていくことを思うと、むしろこのまま静かに置いておくほうがどれほど良いかしれない。われわれのホ−ムグラウンドをなす豊かな裏山として、いつまでも美しく厳しい山であってほしいと思う。そんなことを考えながら、あと一息と重い腰を上げ、そしてまた、ゆっくりと歩み始めるのだった。

                 (写真:傾山から望む黒森山への稜線。遠く笹ヶ峯)