愛媛県宇摩郡別子山村保土野。その背後にある黒滝あたりを血眼になって探したがルビ−を発見することは遂にできなかった。平成11年3月のことである。しょげ返っていた私に朗報がもたらされたのは、それからしばらくしてのことであった。K君から事情を聞いた役場のF課長さんが、それではと貴重なルビ−原石を分けてくれたのだ。1ミリにも満たないにもかかわらず、周囲の灰簾石とは明らかに異なる光沢を有し、その透明感のある薄ピンクの色合いがとても神秘的で、天にも昇る気持ちで何度も何度も愛撫しながら眺め続けたのであった。
「愛媛県 地学のガイド」(コロナ社 1987)によると、1980年頃に愛媛大学の地質学教室の3名が保土野谷に転がっている角閃岩の中から薄い紫赤色の綱玉を発見したことに端を発し、その後、もう少し赤い結晶が採集されるに及んで、別子山からルビ−が出る!と話題騒然となった時期があった。その後、あまり騒がれなくなったが、「石の博物館」学芸部の大脇正人氏は「多分、あまり多く産出しないからではないか。ブル−のサファイヤは日本各地で産出するのに、ルビ−が出ないのは生成条件がなかなか揃わないからだろう。」と指摘されている。
ルビ−もサファイヤも、構成成分は同じ酸化アルミニウム(Al2O3)でコランダムと呼ばれる範疇に属する。その綱玉の名の通り、非常に堅い結晶体で硬度9はダイヤモンドに次ぐ。酸化アルミニウムだけでは白色の結晶で宝石としての価値は無いが、不純物として微量のクロムが混じるとルビ−の赤色系となり、チタンや鉄が混じるとサファイヤの青色系になるという。ルビ−系の場合、1000個の酸化アルミニウムあたり6,7個のクロムが混じると紫赤色となり、3,4個で深紅のピジョンレッドと呼ばれる深紅の宝石ルビ−となるが、それより多くても少なくても再び無色となってしまうというから不思議である。良質のピジョンレッドルビ−の価値はダイヤモンドを凌ぐと謂われ万人の垂涎の的であるが、別子のルビ−はそこまで赤くはなく、むしろレッドサファイヤと呼ぶのが相応しいのかもしれない。いずれにせよ、この厳しい生成条件をクリアして初めて日の目を見る結晶体であり、私には無限の価値があるように思えるのである・・・。
写真は、保土野から黒滝方面を望んだところである。黒滝はV字谷の底の部分にかすかに白く見えている。右側には赤茶けゴツゴツした岩山が望まれるが、「殿が関」と呼ばれるカンラン岩の固まりである。谷の奥には「黒岳」が聳え、強い変成岩である角閃岩で構成されている。角閃岩は非常に変成度が高く、地中深く高温高圧下で生成され極めて堅く、内部にしばしばガ−ネットの結晶体を包埋している。一般に「ザクロ石」といわれる所以である。エビラ山や黒岳縦走時に気をつけていると直径2,3cmもあるザクロ石に出会うことがあるだろう。岩が堅く取り出せないのが実に残念だ。一方、カンラン岩は一種の溶岩で、超塩基性岩であり、深海のような地表流出までの距離が短いとき生成され、当時、このあたりが海底であったことが推察されている。今は穏やかに見える保土野谷も、太古は凄まじい造山運動の嵐が吹き荒れていたのである。それゆえにルビ−が生成されるほどの厳しい条件が揃うことができたのであって、小さなルビ−の結晶こそは壮大な天地創造が生んだかわいい忘れ形身と言えるだろう。
ピジョンレッドのルビ−をヘップバ−ンやバ−グマン(ちょっと古くて恐縮だが)などの大女優に例えるなら、別子のルビ−は、さしずめ四国の素朴な大和撫子ということになろうか?高嶺の花は高嶺の花として永遠の憧れではあるが、所詮、銀幕や雑誌での慰めにすぎない。一緒に食事をし、映画を見てドライブを楽しみ、人生を語り合って行く恋人は、やはり身近な日本の女性が一番だと私は思う。美しい自然に抱かれて長い眠りについていた秘やかなルビ−をこの手で見出す喜びは、恋人を手にした喜びとよく似ている。(残念ながら私は、まだその喜びに達してはいないが・・)自分の手で手に入れたものは、石であれ女性であれ、何ものにも代えがたい宝物である。「山が恋人だ!」と豪語して憚らない岳人諸子よ!何十人も登山者でひしめく山頂で征服感に浸るのも良いが、たまには独り深い谷に分け入って自分だけの恋人を追い求めてみては如何だろうか?もしも運良く発見できれば岳兄は本当の果報者だ。端から見てもそう思うだろうし、当の本人も禁断の可憐な少女をものしたような再春の歓びを胸いっぱい味わうことができるであろう。