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 永遠の故郷

S47年卒 井手浩一

 吉田秀和氏が5月22日に亡くなられた。98歳。詳細な経歴の説明はここでは省くけれど、長年にわたって日本の音楽評論の第一線におられたことは間違いがない。彼が戦後まもなく齋藤秀雄と始めた《子供のための音楽教室》から小澤征爾や中村紘子や高橋悠治が育ったことを考えると、その影響力は一評論家の域を脱していたと思う。

 最近は朝日新聞に不定期に掲載されていた『音楽時評』もすっかり読めなくなっていたので、ああ、もう文筆活動は休止されたのか・・・と思っていた。実際、2003年の10月にバルバラ夫人を癌で亡くし、更に昨年の大震災の後は「この状況下で読者に音楽を語ることにどんな意味があるのか」とおっしゃっていたそうである。

 亡くなってから最晩年のエッセー『永遠の故郷』4部作の存在を知り、早速アマゾンで注文して、少しずつ読んでいる。《夜》《薄明》《真昼》と続いて、最後の《夕映》の巻に記されたあとがきの日付が2010年の11月5日。これで、4年半に及ぶ『すばる』の連作が終わったということになる。

 この4部作で取り上げられている音楽は殆どが歌、歌曲ないしオーケストラ付きの歌、である。第一篇はヴェルレーヌの『月の光』という詩で始まり、フォーレの歌曲にペンが滑って行く。連作の最後を締めくくるのはシューベルトの『菩提樹』である。著者自身は第1巻のあとがきでこんな風に述べられている。

 歌曲について書く時、私はその構築物を仔細に眺めることを通じて、歌曲の心に到達する道を選ぶことが多い。歌曲をきくのは、これまた私の心。私は歌の中に心を感じ、
心を見、心を聴く。だが、それを書くのは言葉である。作曲から受容までの間の音と言葉のよりそい具合、からみ合い、それが私の関心を呼び、それについて感じ、考えることを、私は楽しむ。

 こういう姿勢で書かれた『永遠の故郷』であるが、内容は実にてごわい。本そのものは薄手の選書判なので旅先にも持って行けるし、気の向いたところから読んで行けば良いのだけれど、これは・・・音大の楽理科の学生か、それに加えて独文、仏文専攻の学生並の知識がないと歯が立たないのではないか・・・という感じがする。

 実際、読み始めてはみたものの途中でウーンと唸って、一時中断している章もたくさんある。90歳を遥かに超えた著者の最晩年の作、という弛みはどこにもみられない。一切の手加減や妥協を排して、人生の到達点に書きつづられた文章だと思う。
 そのような、一見優しげな外観に似合わない剛直な内容の『永遠の故郷』であるが、本棚のすぐ近くに置いて、たとえ5年10年掛かっても、全てを理解してみたいと思っている。

 例えばシュトラウスの『四つの最後の歌』についてのこんな記述。

 では、改めて、こう問いただしてみよう。なぜ死への憧れを歌う音楽がかくも美しくありうるのか? 美しくなければならないのか?
 なぜならば、これが音楽だからである。死を目前にしても、音楽を創る人たちとは、死に至るまで、物狂わしいまでに美に憑かれた存在なのである。そうして、美は目標ではなく、副産物にほかならないのである。彼らは生き、働き、そうして死んだ。そのあとに「美」が残った。
 画家を見るがいい。彼らはなにも何かを飾り立て、美しく見える絵を描こうとして、仕事をしているのではない。この人たちの心の底深くには、以前から燃える火があり、彼らはそれに追い立てられるようにして、何かを把え、色と形で見えるものにしようと力の限りをつくしているにすぎない。美はその過程の中で生まれてきたあるものでしかない。

 この一節に出会えただけでも、困難を承知でアタックして良かったと思う。

 オペラ『サロメ』の最後のシーンで、もはや生首になった預言者ヨカナーンを抱いてサロメが歌う。待望の口付けはこんなにも甘く、そうして、こんなにも苦いと歌う。ここではもはやシチュエーションの異常さは消え失せ、16歳の王女の、哀切な歌に聞き入るしかない。

 そなたは、神を見たのだろう。しかし私は見なかった。そなたがもし私を見ていれば、きっと私に恋をしただろうに!

 求愛を手ひどく拒絶されたサロメ(異教徒という理由によって)は、義父ヘロデ王の前で『七つのヴェールの踊り』をおどり、その報償として何でも望みの物を言えと言われる。ガリラヤの領土の半分、誰も見たことのない財宝を差し出すとまで言われても頑なに意思を貫き通し、愛するヨカナーンの生首を手に入れる。いかに倒錯した愛情であれそれに取り憑かれ、内心の火に追い立てられるようにして、彼女は残酷な結末にたどり着いた。そこに美があるからこそ『サロメ』はオペラとして成立している。ヘロデ王は一切を見届け「その女をあやめよ!」と命じて幕が下りる。

 正岡子規は亡くなった明治35年になって、全身を切り刻まれるほどの苦しさに襲われ
た。煩悶に煩悶を繰り返し、泣き叫び、周囲の人たちもただ茫然と見ているしかなかったという。そこまでの何年間の闘病は、夏以降のすさまじい拷問の単なる序章に過ぎなかった。それでも亡くなる数日前に奇蹟のような安らぎの時間が訪れ、すぐ傍に居た高濱虚子に命じて『九月十四日の朝』を口述筆記させた。

 虚子と共に須磨に居た朝のことなどを話しながら外を眺めて居ると、たまに露でも落ちたかと思うように、糸瓜の葉が一枚二枚だけひらひらと動く。そのたびに秋の涼しさは膚(はだ)に浸み込むように思うて何ともいえぬよい心持であった。何だか苦痛極ってしばらく病気を感じないようなのも不思議に思われたので、文章に書いてみたくなって余は口で綴る、虚子に頼んでそれを記してもろうた。

 これはひとり子規だけでなく、およそ日本語で書かれた叙事文としては最高傑作のひとつである。子規は自らの《死》を、時に軽やかなユーモアさえ交えて描いてみせた。

 今年の3月に東京や倉敷や水戸で小澤征爾と水戸室内管弦楽団、そして新進の宮田大をソリストに迎えて、モーツァルトの『ハフナー』シンフォニー、ハイドンのチェロ協奏曲というコンサートが開かれた。TVで2回にわたって(BS朝日とEテレ)放送されたからご覧になった方も多いと思うけれども、実際に小澤征爾が指揮出来たのは全五夜のうち二夜だけで、あとは指揮者なしのコンサートに追い込まれてしまった。

 その突然の降板が告げられた水戸のコンサートで、一部の聴衆からクレームが付い
た。俺たちは小澤が指揮するというから、わざわざチケットを買ってここまで来たのだと。それはそうかもしれない。小澤征爾が重い病気で、以前から闘病生活を続けているのは周知の事実だが、プロなら一度「出来る」と思って受けた仕事はやり通すべきだと。

 その時、客席で立って聴衆を説得したのが水戸芸術館館長の吉田秀和だった。全部は記憶していないが、確か、こんな意味のことをおっしゃったと思う。

 小澤征爾は昨晩生命を削るようにして、演奏を行った。その小澤が今日は、もうステージに立てないと言っている。どうか苦渋を理解してやって欲しい。オーケストラは指揮者なしでも演奏できるよう、十分な練習を積んで来た。だから館長としてコンサートの続行を決定した。この内容でご不満なら、入場料はお返ししますと。

 これで騒ぎは収まった。この出来事が、吉田秀和の死のわずか2月前のことである。結果的に2回切りの本番になったコンサートは見ていて胸が塞がる思いだった。『ハフナー』もハイドンも、そんなに長い曲ではない。しかし小澤は楽章ごとに必ず椅子で休み、
コンツェルトのカデンツァの間は、立ち椅子に寄りかかったりもしていた。彼にとって吉田秀和は終生の恩師に当たるが、最後の最後まで世話を掛けたということになるのだろう。ただ、小澤征爾はそんな無理をしてでも、宮田大に《演奏とは何か》ということを伝えたかったに違いない。TVではリハーサル風景も放映されたが、小澤は何度も若いチェリストに
「もっと下品に弾け」と注文を付けた。つまり、テクニックだけに頼るな、自分のカラに閉じこもるな、もっともっと自分をさらけ出せ!と。

 『永遠の故郷』には実はCDブックも発行されていて(全5枚組)、そこでは4部作で取り上げられた作品が順番に聞けるようになっている。品切れが怖いので何日か前に注文(再びアマゾン)はしたけれど、届いても暫くは封は開けないつもりでいる。

 彼が薦める演奏や曲を聴いて、もし、ん・・・?となった時にどうするか。吉田秀和氏が伝えたかったのは《音楽の感動》であって、演奏や演奏者の好みではない。いかに彼が尊敬すべき評論家であっても、記述を丸のみにするのは、まして聞いてピンと来なかったからといって、自分には感受性が欠落しているのではないかと考えるのは、己の耳を他人に売り渡すことだと思う。

 人それぞれにゴールはあって、そこには自分の早さでたどり着くしかない。自らの好きなペースで目標に到達出来ればそれが一番カッコいいと思う。でもなかなかそうスンナリ行かないのも事実(結局行きつけなければこれはカッコ悪い)で、ふと迷いそうになった時に《あ、こんなやり方をした人もいたんだ》と道しるべになる。『永遠の故郷』はそういう遥かな目標である。


 最後に、長々と駄文を草したお詫び。グーグルで『吉田秀和』と打ち込んで検索したら、ピアニストの青柳いづみこさん(安川加寿子さんの評伝『翼のはえた指』の著者)の『吉田秀和さんの留守電』と題した文章が出て来ます。2005年の1月5日の日記、いやエッセイですが、これを本当にタダで読んでいいの?という素晴らしい内容です。インターネットから消えないうちに一読をお勧めします。

 この4部作が何故『永遠の故郷』というタイトルを持っているか。それについては書きません。意地悪でも、もったいぶっているのでもなく、是非、ご自分で本を入手して心静かに読んで下さい。それほどの名文です。



 

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