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『1000人のチェロ・コンサート』に参加して

戒能哲雄(昭和57年卒)  

 

  チェロという楽器は、座ってしか弾けないという誠に非活動的な楽器です。また、たとえば、BOWING(弓の上げ下げ)を決定するにしても、ヴァイオリン、もしくはその親分であるコンサートマスターの要求に従うというような、いわば「従者」の心を持つべく定められた楽器です。ところが、低音楽器でありながら輝かしい高音も備え、それゆえにソリスティックな性格も持ち合わせているという、極端に言えば多重人格者向けの楽器でもあります。まあ、そのような性格は、多かれ少なかれ皆が持っているものなのでしょうが。

  そんなチェロという楽器を携えて1013人もの奏者が一同に会したコンサートが、昨年の11月29日、神戸のワールド記念ホールで開かれました。このコンサートは「1000人のチェロ・コンサート」と題され、チェロの神様パブロ・カザルスの没後25年ということと、阪神淡路大震災の復興支援チャリティーを目的として開催されました。それほどの大人数のチェロアンサンブルは史上初のことですし(ギネスに申請中とか)、なにより、とても感動的なコンサートでした。

  まず考えさせられたのは、ベルリン・フィルOBを中心とするトッププレイヤーたちのアンサンブルに対する嗅覚とそれを最大限楽しもうとする姿勢でした。前日の練習や当日のゲネプロ、そして本番に至るまで、その姿勢は貫かれていました。ボクなどは、ともすると、本番はなるようになれ的な姿勢があったり、練習でさえも目の前の楽譜に釘付けになり、アンサンブル、ましてそれを楽しむということにまで発展しないことが多いような気がします。このコンサートを提唱したヴァインツハイマー氏をはじめ、前首席のボルヴィツキー氏など、カラヤンの全盛時代、いわゆる「カラヤンサウンド」を支え、彼とともに全世界を相手に活動してきた彼等は、確かに高度なテクニックを持ち合わせてはいますが、なによりその前提にあるものが、より良い音楽を作ろうとする飽くなき姿勢にあったのだと痛感させられたのでした。

  ところで、阪神淡路大震災の犠牲者は公式には6430人とされていますが、その後の心労で倒れた方も少なくないと聞いています。「ケア」という面ではいまもなお多くの問題を残しています。涙で楽譜が見えなくなった奏者もいました。1000人のサウンドに故人の面影をダブらせた聴衆もいました。「1000人のチェロ」というイベントの部分だけに目が行き、震災を対岸の火事のごとくにとらえ、その記憶さえも薄れつつあったそのときの自分を、いまとても恥ずかしく思っています。今日ほど命というものが軽んじられている時代はないといいますが、いまこそ、カザルスのヒューマニストとしての一面を学ばねばと思っているところです。

  震災のメモリアルデーである1月17日、神戸市役所横の東遊園地で、「1.17,KOBEに”灯り”を」という催しがあり、6430本のローソクで形どられた「1.17KOBE」の文字の横で、「1000人のチェロ」のうちの12人のメンバーが、プログラムの一部を演奏しました。幸いボクもお誘いをいただき、メンバーに入れてもらっていました。氷点下だったかもしれない酷寒の中ではありましたが、当時の反省も込めて、厳粛な気持ちで演奏してきました。

  その深夜、「1000人のチェロ」の事務局長松本氏とボクたちの5人は、明石海峡大橋のたもとのパーキングにいました。神奈川や大分など遠方からの奏者たちへのサービス、と松本氏がつれてきてくれたのでした。

  言い出したのは、大分のS女史でした。
「楽器弾こうか!!」
「?……!」
「よっしゃ!」
「寒いのは、さっきでもう慣れてまっせ!」

 ちょっと向こうに、ちょうどいいオーディエンスがいます。
「そこの彼と彼女! ちょっと聞いてかない?」
 演奏したのは、チェロの定番、『白鳥』と『鳥の歌』。
 おふたりさん、幸せになってね。

 




 


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