歩き遍路
~勝手打ち、繋ぎ打ち~
マナベ小児科
真鍋豊彦
はじめに
順打ち、逆打ちという遍路用語がある。札所(四国霊場八十八ヶ寺)を時計回りに巡拝(打つ)することを順打ち、左回りに打つことを逆打ちという。また、札所を一度にすべて巡拝することを通し打ち、数ヶ寺に分けて巡拝することを区切り打ちという。
そのいずれでもない打ち方を、自分流に"勝手打ち"、"繋ぎ打ち"と称し歩いている。
2年ほど前から、特にはっきりとした動機もなく、歩き遍路を始めた。平成26年6月に伊予ノ国(26ヶ寺:345km)と讃岐ノ国(23ヶ寺:153km)二国を打ち終えた。地図を広げて見ると、四国は小さいようで大きく、歩き遍路の道は長い。
その後、阿波ノ国巡拝を始めているが、遠方に位置する札所巡りは日程的、体力的にかなり厳しい。
札所巡拝と日曜遍路
日曜・祝日にマイカーやバスを利用し、日帰り巡拝(区切り遍路)を繰り返すのを日曜遍路というようだ。今年は弘法大師開創1200年に当たり、日曜遍路が特に多いという。
昭和56年11月、65番三角寺から妻と一緒に車で区切り遍路開始、平成6年10月、88番大窪寺で打ち納めたが、いつの間にか13年経過していた。47歳から60歳、最も多忙な時期であった。
その後、別格二十ヶ寺や西国三十三ヶ寺参りも車を利用、高野山御礼参りもした。表装した納経軸は"お守り"として大切にしている。
金剛杖を突いて
「・・88番大窪寺へは女体山越えのルートで上から到着しました。・・10年間、8回に分けての歩きで、一部JR,バス、電車、タクシーも利用しましたが、8割以上は歩いたと思います。二人で10年間、無事元気に歩けたことを『有り難い』ことと感じます。これもお大師様のおかげと感謝しています。・・」
これは九州の友人(医師夫妻)から届いた四国遍路「結願」の知らせである。
縁あって彼らのお遍路に4度同行した。同行と言っても、ほんの数時間、金剛杖を突きながらお供しただけだが、徳島県宍喰町の民宿に泊り、語り、歩いたこともある。
人は誰しも何かを背負って生きている。彼の義妹(医師)は50歳の若さで大腸がんを患い死去した。その供養を兼ねた歩き遍路だった。
「伊予路に辿り着くのは遥か先だが、妻と一緒に動ける時間を大切にしたい、義妹も一緒に同行三人のつもりで歩く。」
遍路を思い立った心情を述べたメールが届いたのは平成15年4月、10年あまり前のことであった。
その後、春とか秋に詳しい遍路日程を組み、その都度知らせが届いた。
二人は遍路装束(金剛杖、白衣、輪袈裟、菅笠)で、札所に着くたびにすべて作法どおり、仏前で合掌礼拝、般若心経を静かに唱えた。その姿にいつも胸を打たれた。
勝手打ち、繋ぎ打ち
歩き遍路は未だ"道半ば"、歩き始めの動機は何であったか、あれこれ思い返してみてもわからない。ただ、頭の隅にいつも二人の"合掌、読誦"の姿があった。
自分流の歩き遍路はまさに勝手打ち、繋ぎ打ちである。
作法は知っているが実にいい加減である。金剛杖を突いていなければ、登山者と間違えられるだろう。
守っていることは、札所から札所まできちんと繋ぎ歩くことだけである。巡拝順序はもとより、順打ち、逆打ちはその時々に決める。
へんろシールなど道標は、順打ちには見やすいが、逆打ちの場合、見落とすこともしばしばである。道を失い、迷い、元の場所まで引き返したこともある。
歩き始めの場所は札所とは限らない。札所や周辺のコンビニ・空き地などであるが、時間が経ち、車を置いた場所がわからず困ったこともある。
打ち終わると出発場所まで引き返すが、近ければ歩き、遠ければ電車、バス、タクシーなどを利用する。頻度はタクシーが一番多い。かなりの出費であるが仕方ない。
阿波ノ国巡拝
巡拝を開始して日が浅い。阿波ノ国は発心の道場と呼ばれ23ヶ寺、1番札所霊山寺から23番薬王寺まで、山あり谷ありの220km、その先には383kmという最も長い土佐ノ国参拝がつづく。順打ちをしているが、途中の数ヶ寺は四国百名山踏破のとき、遍路道を辿り、すでにお参りしている。
終わりに
私の歩き遍路は、金剛杖を突きながらの"歩くだけの遍路"です。山歩きと同じ苦しみと喜びがあります。信心深いお遍路さんのお話や、心のこもったお接待を受けた時など、こんな姿勢で良いのかなと思うことがあります。愚行かもしれません。
20数年前から健康のために始めた"万歩"は、今では目的になり、"苦行"そのものです。
"歩くだけの遍路"が歩き遍路になるかどうか、今の私にはまったくわかりません。 (平成26年8月31日記)
註:新居浜市医師会報695号 2014年10月号から