含銅硫化鉄鉱7

  

 

 別子銅山本山坑の含銅硫化鉄鉱床標本。ジローくんの大きさが約7cmであるから、まあ、ある程度、大型標本の域に入るだろう。別子銅山記念館や東京大学総合科学博物館の巨大な標本には遙かに及ばないが、「標本は大きいほど良い。」という櫻井欽一博士の言葉通り、大きいほど鉱石から感じ取れる印象も大きくなるというものである。

 別子鉱床は、「イヤ」「アツバク」と呼ばれる塊状鉱と、磁鉄鉱とのまだらを示す縞状鉱が微少褶曲を伴って整合的に層状をなすのが一般的である。黄銅鉱などの高品位鉱は縞状鉱の部分に多く、しばしば「ハネコミ」を伴い、昔はこの部分だけを採掘してあとは谷に捨てていたという。この標本も中央に15〜6cm幅の塊状鉱を挟む形で縞状鉱が幾層にも重なっているのが理解されよう。下のモノクロ写真は実際の坑内写真。こういった鉱体が銅山峰の東西を横切って、平均脈幅2.5m、延長1800mにわたって整然と続いていた訳である。(坑内写真は「地質ニュース 99」、地質調査所 1962より引用) 

 それでは、このキースラガーの起源は何か?一見、簡単そうにも思えるが実に100年の間、世界中で論争されてきた研究題材である。銅鉱床は、結晶片岩が形成される以前のものか?後のものか?・・それだけでも戦前の文献をみると、結晶片岩が先であり、その後、有用鉱物を含む熱水などが嵌入して塊状縞状鉱床を形成したという、いわゆる交代鉱床説が有力であった。戦後は、さすがに約3億年前の古生層に形成された熱水鉱床が堆積後、地質変動を受けて硫化鉄鉱床になったという結晶片岩後生説が主流となったが、それも次第に細かい矛盾点が噴出してしばらくは百家争鳴の時期が続いた。転機を与えたのは、世界各地の深海で発見されたブラックスモーカーであった。いわゆる熱水性の海底火山である。その金属組成がキースラガーと一致することから、深海のブラックスモーカーで形成された鉱床を含む地層が地底深く沈み込んで結晶片岩となり、そののち再び隆起して現在の銅山峰、標高1000m辺りに現れたとする高圧変成作用説が現在ひろく流布するに至っている。海底の鉱床形成時期も古生代から中生代ジュラ紀(約2億年前)に改まり、変成は白亜紀(約1億年前)頃と推測されているが、今後、再度修正される余地も充分残っているという。しかし、日本のキースラガー鉱床がすべて姿を消し、大学の鉱山学科や鉱物学科も消滅したり統合整理される時代にあって、そういった研究の原動力となる若い世代を育てることさえ次第に難しくなっていると聞くのは、さびしい限りである。

 

 さて、この標本は元採鉱夫からの寄贈品。坑内の規律厳しき住友も、閉山前の最後の一年間は、記念として鉱石を持ち出すことに目をつぶっていたという。したがって、新居浜には今もこのような大型標本を秘蔵している方も多い。しかし、これも世代が変われば不要な単なる“石”として片づけられる運命である。どうにかして、一ヵ所に集約して後世に保存する方法はないものかと、ひとり思案するこの頃である。