黄銅鉱(縞状鉱)

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 江戸時代、精錬用に選ばれる銅鉱石は、いわゆる上鉱と呼ばれる銅成分10%以上のものに限られていた。鉱床は、塊状鉱と縞状鉱に分かれるが、その大部分を占める塊状鉱は一部を除いて旧坑内や谷間に惜しげもなく廃棄されていた。「上ヒ」を形成する塊状鉱は、「イヤ」と称するが、これは坑夫から「イヤがられるため」の意と伝えられている。それでも銅成分は4%程度というから現在なら充分すぎるほどの高品位鉱である。「下ヒ」は「アツバク」とも呼ばれ、読んで字のごとし、3m余りの厚さを持ち比較的品位も良好で、往時より一部は採掘の対象になっていたという。しかし、あくまでも一部である。これらに比べて縞状鉱は「カハ」と称せられ、皮のような薄さで母岩に挟在する鉱体で、あたかも鉱脈をなすように微小褶曲を伴いながら膨縮を繰り返している。一般にこのような縞状鉱は、塊状鉱に比べて品位が劣り、多くの鉱山ではこちらが廃棄の対象になるが、別子の場合は逆に斑銅鉱、黄銅鉱などの超品位鉱が集中しているのが最大の特徴であり、特に「上バク」または「上鉱」と呼んで貴ばれ、「別子型鉱床」の別子型たる所以はまさにここにあるといっても過言ではないであろう。「塊状鉱以外に、このような高品位網状鉱および縞状鉱がまとまった量存在したことは、別子本山鉱床が本邦の他のキースラガー鉱床と異なる著しい特徴である。江戸時代を通じて別子が稼行できたのは、Cu数%〜10%もの高品位で硫黄分の少ない(S数%以下)鉱石が存在したという要因に負う所が非常に大きいと思われる。」と「住友別子鉱山史」でいみじくも看破し、一種の巨大な「ハネコミ」であろうと推測している。

 この標本もそんな縞状鉱の一形態。黒色片岩と黄銅鉱が層状に褶曲を伴って並んでいるのがわかる。色合いからやや品位が劣る部分も混在しているが、銅成分の高いところは、黄銅鉱特有の虹色の葷色を呈しとても美麗である。その独特の濃い黄金色から「ナタネバク」とか「ベニバク(葷色部分)」と言い習わされてきた。「鼓銅図録」にも、「璞石(鉱石)に濃淡あり、素石をはさむあり。至って淡きものと素石とを揀(えら)び去るを、砕(かな)めすといふ。」と記されている。

 こうして選ばれなかった鉱石は、谷とか旧坑道中に破棄されたが、特に8番坑道(第三通洞準)より上は、江戸時代の旧坑が多く廃石の品位も高いので、大正時代より再び採掘の対象となった。廃石の表面は褐鉄鉱で一塊となっているため「氷山」または「凍山」ともいい、これを採掘するのを「二代掘り」と称した。谷に捨てられた鉱石の中にも高品位なものが混じっているため、年老いた坑夫を雇って拾わせたりもした。これが「拾いバク」制度で、その配属も正式に認められていたという。昭和にはいると、さらにショベルカーを使って大々的に、谷という谷、石垣という石垣を崩して根こそぎ廃石を回収したので、旧別子でこれほどの鉱石を拾えることは今は稀である。ちなみに、この標本は、「拾いバク」で得たものを、記念に永く保存しておられた元坑夫のご子息より戴いた品で、当時の廃石の中に、これほどの高品位鉱が混じっていたとは正に驚きというほかない。

 

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