鉱石灰皿(積善坑)

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 別子鉱山積善坑産のキースラガーをカット、研磨して中央を刳り抜き、灰皿にしたものである。積善坑は別子山村瓜生野にあった支山で、「日本の鉱床総覧」によると、発見は大正10年頃?と云われ、昭和8年頃から本格的探鉱を開始、昭和11年より出鉱能勢が整った。昭和32年の休坑までに出鉱量58,609t、産銅量890tが記録されている。坑道延長は4,650mに及ぶが本山坑との連絡坑道はなく、運搬はもっぱら索道と荷馬車運搬に頼っていた。産出鉱物は黄鉄鉱、黄銅鉱をはじめ、少量の磁硫鉄鉱、閃亜鉛鉱、斑銅鉱、ヴァレリー鉱、自然金、四面銅鉱、方鉛鉱などが記録されている。さらに特記すべきは下盤が最大20mの蛇紋岩レンズと接しているという本鉱床の母岩の特性で、本書では直接的な関連性は否定しているが、鉱床の位置が結晶片岩、角閃岩、カンラン岩の混在する特殊な場所に賦存しているため、なんらかの鉱床起源に関係している可能性は否定できないと思われる。

 

 さて、稼行当時、索道での鉱石運搬に際して、多少の鉱石が下の山林に落下することがあった。そんな山林の所有者のひとりであるN氏が、閉山後に自宅に持ち帰り保存して置いた鉱石を、「マイントピア別子」開設に際してカット、研磨などの加工を施し、特産品として出品したのが事の始まりという。当時はすこぶる好評で、このような灰皿などはあっという間に完売してしまったと伝えられる。ほかにも衝立風に研磨した飾り物や、鉱石本来の形を利用したオブジェなど、他の村民の作品と競い合うように並べられていたというが、今は想像することすらできない。しかし、閉山後、何十年経ようとも鉱石に関する所有権や遺失物としての届け出が必要ではないかという当局の指摘もあって嫌気がさし、結局止めてしまったそうだ。数年前、ご自宅でそんな話をお聞きしながら床の間を見ると、そこにも母岩に一筋の金色の鉱脈が見事にはいった衝立が飾られていたのが忘れられない。話がひとしきり尽きた頃合いを見計らって、もう、灰皿は残っていないですか?と恐る恐る尋ねてみたところ、作りかけたものが1,2個、作業場に残っているかもしれない、行ってみるかと言われ、喜び勇んで同行して幸運にも譲っていただいたのが、この灰皿である。長径20cmあまりの縞状鉱で片手では持てないほどズッシリと重い。裏面はよく研磨されていて、磁鉄鉱部分は磁石にくっつく。これだけでも立派な標本である。灰皿部分も荒削りながら安定がよく、実用品としても充分通用する最高の記念品であると思われる。何度もお礼を言いながら拝領した次第だが、これもN氏に引き合わせてくれた別子山村在住の登山仲間、K君の心添えあってこその賜物であると合わせて今も深く感謝している。

 

 小生も今は喫煙しないが、十年前までは結構なヘビースモーカーであった。何かに熱中していて一区切りの意味で吸う一服の紫煙の味はまた格別であった。体に悪く、周囲の人にも迷惑が及ぶため、今は嫌われものに成り下がって喫煙者は今後、ますます肩身が狭くなるのだろうが、考えてみると世に大数学者、大物理学者をはじめ“天才”と呼ばれる偉大な人々にはパイプ愛好家を含め喫煙者が実に多い。そうすると喫煙と人類の進歩とはあまり因果関係がないのではないか?・・ニコチン依存症は悪いと言うが、じゃあパチンコ・パチスロのギャンブル依存症は野放しのままだが、あれは悪くないのか??など、いやしくも医療従事者の端くれとは思えない「煙草擁護論」が頭をもたげてくる。ええい、ままよとこの前、この鉱石灰皿を前に、久しぶりに煙草を吸いたくなって一服火をつけてみたが、悲しいかな・・ただ咽せただけに終わった。

 

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