キースラガー(筏津坑産)

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喜和田鉱山の思い出

 先日(2008年7月)、愛媛石の会から一通の案内状が届いた。8月末日を以って喜和田鉱山完全撤退のニュースである。1992年の休山後も鉱山長として坑内の保全に努め、あわせて鉱山に併設された「光る石資料館」の館長として多くの鉱物愛好家に愛されていた長原正治氏が80才になったのを機にヤマを下り、京都に帰られることを決断されたためである。遂に来るときが来たなという想いとともに限りない寂寥の感にしばらく耽ったのであった。

 愛媛石の会では、2003年11月15日と2004年3月28日の二回にわたって巡検をおこなったが、近いうちに坑道をすべて閉鎖するという情報があったからである。特に2004年の巡検は、一日かけて二鹿銅山時代の旧坑から山神社まで長原氏にご案内いただき忘れがたい思い出となった。・・それが、このキースラガーと何の関係があるんだ!と言われるかもしれないが、まあ、その思い出話をしばらく聞いてください。

 

 山口県岩国市の錦川を少し遡り、右岸の集落を通り抜けた山林の中に鉱山事務所はあった。バラック平屋建ての簡素な建物に入ると、多くの国産鉱物標本や喜和田鉱山グッズが所狭しと並べられている。満面の笑みを湛えた長原氏と対面して、挨拶もそこそこにまず鉱山見学に移る。貯鉱場まで車で移動していきなり山道を登る。10分程度だが、日頃運動不足の身には結構堪える。息があがる頃、やっと水平道となり、さび付いた鉱車やローダーが放置されている脇を通り抜けると長栄坑口だ。ヘルメットを被っていざ出発。坑道内は電灯が灯ってはいるが、足下は暗くヘッドライトや懐中電灯がなければ水たまりの深みに入ってしまったり、レールにつまずいたりと大変だ。途中で鑿岩機の痕である「馬つなぎ」や断層の説明を受ける。300mも進んだところで、第11鉱体へと移る竪坑の鉄梯子を登るのだが、これがまた上から水が滝のように落ちていてスリルもあって結構楽しい??やっと登り切ったところが、有名な第11鉱体。世界有数の高品位タングステン鉱脈で、それを生み出した巨大な石英脈が頭上の闇に浮かび上がってわれわれを威圧する。喜和田鉱山に巨万の富をもたらしたこの鉱体を発見したのが、なにを隠そう、目の前の長原氏ご本人なのだ。「掘り進んで、採算の採れる鉱石があれば何も言うことないが、もし鉱石がなければ全て水の泡である。それに、色々の方法で調査し鉱石があると信じていても、相手は一寸先の見ない石のこと、正直いってカケなのだ。喜和田鉱山の鉱体の形は芋状で、しかも、それがポツンポツンと各所に点在する。だから発見が難しい。探鉱には一か八かのクソ度胸と恵まれた幸運が必要である。」(愛媛石の会会誌第9号所載)う〜ん、さすが日本屈指のギャンブラー?のご高説には納得とともにただただ感服するしかない。しばらく感嘆の声を挙げた後、今日は気分がいいので上まで行きましょうと長原氏が先頭を切ってどんどん進んでいく。外界に出たところが大切坑。長栄坑が出来るまでの中心坑道という。さらに斜面を回り込んだところに巨大なコンクリート枠に囲まれた縦穴が口を開けている。明治44年建設のタングステン選鉱場の遺跡である。喜和田鉱山のタングステン鉱に最初に目をつけたのは、ドイツ人だったそうだ。同じ年に電球芯にタングステン使用が可能になったためで、砲弾など軍需利用とともにいち早くこの鉱山の買収を図ったそうで、当時、日本ではその価値について認識がほとんどなかったことを思うと、さすがドイツというほかない。その傍らには「山神社」が祭られている。もともと聖徳太子を祭っていたが、明治以後は大山祇神に変更したことや、長原氏個人で社殿を修復したことなどを感慨深く語ってくれたが、なによりも深々と頭を下げて、長い間祈りを捧げていた氏の後ろ姿が忘れられない。喜和田の神様も鉱山の終焉をとても寂しく思っておられるに違いない・・

 その後、江戸時代の二鹿銅山時代の迫り割りを拝見。小生は迫り割りの向こうまで入ってみたが、坑口は潰れてしまっているようであった。文化文政の頃には、住友も調査したことがあったという。遠い銅山時代の感傷に浸ったところで充実した鉱山見学コースもおしまい、一気に車デポした選鉱場まで引き返す。貯鉱場では、しばらく灰重石を採集。これがまたいい。とにかくハズレ無しだし・・鉱石は袋に入れられたままで放置されている。袋を自由に破って採り放題だ!美しい縞状鉱をはじめ、少量ながら運が良ければイカのような色をした灰重石の結晶や柱状の燐灰石なども採集可能で、長原氏が自ら手に取って鉱石の特徴を講義してくれるのも嬉しい。ハンマーを振り続けて手が痺れてきた頃、やっと鉱山事務所まで帰り着いたのであった。

 

 事務所内には喜和田鉱山の鉱石の展示室がある。圧巻はなんといっても大きな灰重石切断標本をびっしりと壁面に張り付けた再現鉱脈である(下写真)。電気を消し紫外線で照らすと・・これはまた素晴らしい!「地中の天の川」とも表現される神秘的な青色蛍光に身体全体が包み込まれる。しばらくうっとり眺めていると、同行のM氏が足下に置かれた鉱石から放たれている小さな緑色蛍光に気づいた。皆川先生が「これがマラヤ石ですよ!すごいじゃないですか!」とコメントしたことから大騒ぎ。結局、M氏がそれをゲットした訳だが、M氏にとっては、われわれから放たれる羨望と嫉妬の視線も灰重石蛍光と同じくらい強かったことであろう。さらに部屋には、世界各地の蛍光を発する鉱物が展示されていて大変勉強になった。やっと一息ついた頃、長原氏が手招きするので行くと小さなテーブルの上にお茶が運ばれている。お心遣いにお礼を言いつつお茶をすすりかけると「このテーブルを見てください。これはここの灰重石を研磨して作ったものです。さらに面白いのは、小さいですがアクアマリンが含まれているのです。どこかわかりますか?」と言われる。アクアマリン??・・ええ〜!!ということになってお茶を飲むことも忘れて十に余る頭が一斉に小さなテーブルに注がれたのであった・・

 興奮の連続に時が過ぎていくのも早く、いつの間にか日が西に傾きかけている。名残は尽きないが閉館時間も近づいたため、最後におみやげを見ていると、さまざまな国産鉱物に混じって、この別子銅山筏津坑のキースラガーが眼に留まったのであった。長原氏自筆のラベルもやや色あせて古く、鉱石には錆びもなく稼行時代のものなのかもしれない。黄銅鉱には及ばないが、品位10%内外はあると思われる立派な標本である。喜和田で別子の鉱物をみるのも何かの縁だろう、と思いつつ購入したのだが、「ほ〜、さすが愛媛の方ですね。山口に来ても、やっぱり地元の鉱物がいいのですね!」と皮肉とも冗談ともつかないコメントをしながらも少し勉強してくれたのは、やっぱり嬉しかった。この標本についての由来、たとえばご本人が採集されたものなのか?鉱山用の標本だったのか?などを訊き逃したのは、いまだに残念に思っている。しかし、この標本を見るたびに本当に楽しかったあの日の思い出がありありと蘇ってくるのである。

 

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                                         (蛍光写真は、asahi.com., 24.7.2008 より転載)

 

 その後、長原氏は2005年1月、「愛媛石の会」の招きで来松講演され、喜和田鉱山の詳しい歴史を会誌に3回に亘って連載中である。小生がマラヤ石をとてもほしがった(すぐに人のものを欲しがる・・小生の悪い癖です)のにも同情されたのか?!喜和田鉱山産の錫石、マラヤ石、燐灰石を来松時に戴いたのには感謝の申し上げようもなく、やや気恥ずかしい想いとともに今も小生の宝物となっている次第。

 

 こういう資料館、つまり見せるモノがあり、売るモノさえあれば、行政主導の立派な設備や巨大な施設などは一切必要ないという“証”としていつまでも残しておいてもらいたかったと思うのは小生だけではあるまい。それに加えて、長原氏という生粋の鉱山師の案内付きというのは、日本広しといえども稀少であり、これがさらにリピーターを生む大きな理由であったとも考えられる。今回の坑道埋め戻しも結局は当局の指導なのだろうが、何でも危険で都合の悪い場所を無かったことにするのは戦後日本のお家芸ともいえる。同じ山口県下関市彦島にあった下関砲台も山県有朋がドイツのメッケル少佐指導下に造った東洋一の軍事要塞だったが、戦後すべてを埋め戻して公園とした。表示もないので、今、その地下に巨大な要塞が埋まっていることを知っている人も少ないだろう。正しい歴史を教えているというが、現実にあった大日本帝国の誇りを埋めてなかったことにし、かって存在した世界一の鉱山を危険だからといって埋めてなかったことにする・・それで本当に子供に真実を伝えていると言えるのであろうか??クダらないハコモノ行政にかける金を少しでも回せば、貴重な鉱山の保存管理などいともたやすいとも思えるのだが・・大人も子供も一緒に感動できる日本の“宝”を学ぶ場所がまたひとつ消えていくのかと思うとある種の悔しささえ感じられてならない。このような教育のシッペ返しは、子供が大人になったときに必ず返ってくる、いやもう返ってきているのでは・・と小生は恐れるのである。

 

 ともあれ、本日、2008年8月31日を以って喜和田鉱山の全設備は撤退を完了した。もう一度訪問して、氏と心ゆくまで談笑したかったが、遂にその機会には恵まれなかった。事務所跡には、多くの人々に懇願されて長原氏自撰の鉱山記念碑だけが残るという。せめて小生も、鉱山最後の日に駄文を綴って自分なりに“世界の喜和田鉱山”を偲ぶよすがとしたい。鉱山の楽しさを存分に体感させてくれた氏にこころから敬意と感謝の意を表しつつ・・

 

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長栄坑にて

 

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