別子銅山本山坑8番坑道産(と推定される)孔雀石である。やや風化した絹雲母片岩の表面に、緑色の粉体として認識されるが、ルーペで拡大すると針状の結晶が放射状に発達している様子を明瞭に観察できる。黒色の部分は輝銅鉱、やや赤く見えるところは質の悪い赤銅鉱であろう。8番坑道は、海抜750mに位置し、第3通洞レベルとしても知られている。多分、この標本は第3通洞もしくは、その付近の旧坑の壁面であろうと推察される。上部鉱床に属するこのレベルは、明治から大正にかけて掘り尽くされた旧坑群で、昭和47年まで”籠電車”の名で親しまれたトロッコ道のための第3通洞を除いては危険で入坑禁止であり、採集は不可能と思われるからである。閉山まぎわ、第3通洞の孔雀石を採ったいう伊藤義一氏がご健在で、お話を聞くことができた。「あれは会社から頼まれて、採りに行ったのだが、旧坑は半ば崩れ、半ば埋もれて危険極まり無かった。孔雀石の付いた壁を剥ぎ取ると、ボロボロと上の壁が落ちてくる。落盤がいつ起こるか、ヒヤヒヤしながら命がけで採ってきたものだ。いくら銭を積まれようと、もう二度とはいやな仕事だった。従って、これはもう二度とお目にかかれない貴重なものですヨ。」と、しみじみと語ってくれた。
私の手元にある標本は、40cm大の大きなもので、閉山時の昭和47年、松山のMデパートで開催された「別子銅山閉山フェア 鉱物即売会」(この名称が正確かどうかは不明)に出品されたものだという。ある方が購入され大切に保存されていたものだ。即売会には、貴重な別子の希産鉱物や、立派な博物館級の鉱石も売られていたそうで、ぜひ、此の目で一度見たかったものだとつくづく思う。それから30年を経て、伊藤氏も、これが自分で採られた標本であるかどうかはっきりとは思い出せないというが、「しかし、よく残っていたの〜・・。」と、再会した我が子を慈しむように静かに岩肌を撫でて、目を少し潤ませておられた姿が忘れられない。