鏡肌(別子銅山)

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 キースラガー鉱床は、非常に高圧な地圧によって形成された変成岩に胚胎し、鉱床形成後も急激な地殻変動の影響でさまざまな修飾を受けていることが多い。鏡肌(別名、辷り肌)は、そうした作用の最たるもので、小規模な断層の割れ目に沿って、お互いの鉱石が擦りあうことで作られる。摩擦熱の影響で双方の接触面だけが溶け、磨かれた鏡のように表面がツルツルになっているのが特徴である。その熱作用が短時間であることは、1mmにも満たない鏡肌の“表皮”の下が通常のキースラガーであることからも容易に推察される。昔から坑夫さんの間では、ご神体の鏡のように光り輝く目出度い鉱石として珍重され、神棚や床の間に飾られることも多かったという。

 

 一概に鏡肌といっても、断層によって形成された摩擦面は、何ら銅鉱床に限ったものではなく、いわば一般的な地質学的用語であり日本各地に「鏡岩」とか「鏡石」とも呼ばれて数多く点在している。たとえば、愛媛県松山市の「大峯ヶ台」と称する愛光学園東側の山の斜面には、凝灰岩質礫岩の見事な鏡肌の露頭があることでよく知られ、この断層を境にして、北側は花崗閃緑岩、南側は和泉層群の砂岩、頁岩となっている(愛媛県立博物館 自然科学普及シリーズ2 昭和57年)。徳島県では、「ソロモン秘宝伝説」で有名な高根正教が、剣山山頂の発掘で発見したという「鏡石」を、古代に人の手によって磨かれた神聖な石として剣神社に寄進するとともに、ソロモンの秘宝に対する自説にますます確信を深くしたと伝えられる。現在も剣神社には、その3枚の鏡石がご神体として大切に保存されている(下写真)のだが、おそらくこれも石灰岩層の断層によって形成された自然の鏡肌なのであろう。

 

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 高知県には、香美郡夢野という場所に昔、有名な鏡岩があったという。余りに美しいためにそれが川の名前となり、遂には郡名にまでなったことが「土佐名勝志」(寺石正路著 大正11年刊)に詳しく記載されているので、その一部をここに転載させていただく。「・・物部川は土佐大河の一にして・・抑も此の川、旧名を鏡川といふ。蓋し香美郡、鏡野等と皆其の由来を同ふす。伝へ云ふ、昔、此の川上片地村夢野に一大鏡岩あり。鏡岩とは角岩の地辷り等の作用により其の面、自然に研磨玲瓏せられたるものにし、当国には其の例極めて多し。然して此の物部川上の鏡岩は其の光沢尤も明炯にして殆ど天然鏡の如く往来の人影、其の上に映写せしとかや。かくて此の鏡岩の名、格別著しく聞へ、郡を鏡郡(のち香美郡)、野を鏡野、川を鏡川と呼びたりしが、のち此の川の下流右岸に物部氏の名族住み、物部村の名起こるより、遂に村名を転じて川名となし今日の物部川なる名称に改まるるに至れり。・・(文面一部修正)」さぞ見事な鏡岩でこの眼でぜひ見てみたいと思うのは山々なのだが、続けて「夢野の鏡岩は物部川筋淵瀬の変により今は土砂の為め全埋して形を失ひしといふ。」とあるのは残念至極という他ない。もし、今日まで残っておれば、少なくとも国の天然記念物くらいには指定されていたことだろう。

 このように一口に鏡肌といっても四国内においてさえ、その大きさも種類も多種多様であり、小生の標本も正確には、“キースラガーの鏡肌”とか“含銅硫化鉄鉱の辷り肌”などと称するべきであろう。改めて鏡肌面を見ると、確かに光沢も良く、手触りも鏡の如く滑らかなのだが、今ひとつ“鏡面”と呼ぶにはなんとなく物足りなさが残る。坑夫さんは「少なくとも、自分の顔が映るくらいでないと鏡肌とは言わない。」とも仰られていたので、この程度では“鏡肌もどき”と言うべきかもしれない。また、坑夫さんによっては持ち帰った鉱石の座りを良くするために一部を機械で裁断している場合が往々にしてあり、これが鏡肌と紛らわしいこともある。自然の鏡肌は、いくら断層によるものとはいえ、一部に凹凸の不均衡があったり、微妙に鏡面が曲面を描いていることなどで或る程度は区別することができる。さらに鋸目の有無も判断材料となるだろう。同じような鏡肌をお持ちの場合は、よく確認することが必要である。また摩擦具合によって、鏡面とはいかないまでも断層に沿って比較的平坦な割面を有するものや、断層面はあるものの双方がくっついたまま鏡肌に成り損なった鉱石もあって、一般に単調だと酷評されるキースラガー標本でも、人間と同じようなさまざまな顔があるようで興味が尽きない。鏡肌を見て、その鉱石の歩んできた過酷な生い立ちに思いを馳せてみるのも良いだろう。

 

 まあ、小生所有の鏡肌は、この程度のものなのだが、新居浜市内には見事な鏡肌が各所で展示されている。まず下左は、別子銅山記念館に展示されている大型標本。鏡面の輝きといい、摩擦面の湾曲具合といい、文句なく第一級の逸品である。同じコーナーにある斑銅鉱や縞状鉱と合わせて、数こそ少ないが往年の別子の誇った鉱石の美しさを、余すところなく来訪者に知らしめている。残念ながら館内の写真撮影は一切禁止なので、ここでは、愛媛県立博物館発行「愛媛県博物館資料総合目録 昭和53年版」より、古いモノクロ写真を掲げておいた。下中央は新居浜市立郷土美術館の標本。鏡面はまさに機械で磨き上げたようにツルツルで、光をよく反射して虹色に輝いている。上から覗き込むと自分の顔も辛うじて認識できるので、坑夫さんも納得の鏡肌と言うべきであろう。もともとのキースラガーの品位も比較的良好の鉱石と思われる。下右は、マイントピア別子の観光坑道内に展示されているもの。鋸目のように見えるのはズリ方向に刻まれた細かい擦過創で、断層が動いた方向がよくわかる大きく美しい標本。これ以外のさまざまな様相の鏡肌もガラスケース越しに見ることができる。もともと観光坑道の奥まった一室に整然と展示されていたが、平成22年4月の新装オープンとともに入坑口近くの通路の傍らに移動され、無造作?に並べ替えられたのには少々驚いた。外気が流れ込む場所なので、写真をみておわかりのようにガラスケース内は結露して湿度がかなり高いことを物語っている。このままだと数年を経ずして、鏡肌の鏡肌たる所以の美しい輝きはすべて失われてしまうであろう。別子の歴史ばかりを強調するのも良いが、鉱山の神とし仰ぐ大山祇の化身とも言うべき鉱石の輝きを保ってこそ、マイントピア益々の弥栄もあると思うのは小生独りよがりの古い考えに過ぎないのだろうか?・・昔から目出度い鉱石と云われるだけにその思いはなおさらである。他の吹寄せや斑銅鉱とともに展示方法の再考をただただ願うのみである。

 

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                               (左より別子銅山記念館、新居浜市立郷土美術館、マイントピア別子の鏡肌)

 

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