硫砒鉄鉱(松山市湯山)

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 松山市から国道317号線を水ヶ峠トンネルに向かって進むと、松山第二の温泉郷である奥道後に到達する。このあたりは、松山平野を構成する和泉層群の砂岩、頁岩層と、高縄半島を構成する領家帯の巨大なカコウ岩の境界にあたり、幅広い黒雲母ホルンフェルスを形成している。露頭からは、閃亜鉛鉱、方鉛鉱、黄銅鉱などに混じって、写真の如き綺麗な硫砒鉄鉱の結晶が採集できる。硫砒鉄鉱は、このような接触鉱床や熱水鉱床からよく産出し、特徴的な菱形の板状、柱状結晶を呈し、新鮮な面は美しい銀白色に輝いている。双晶を作りやすく、2つの板状結晶が上下に重なっているものや、お互いが貫入しあった複雑な形態もよく見られる。菱面に発達する条線も見事で、まず肉眼的にも同定しやすい鉱物のひとつであろう。本標本では、他の共生鉱物はみられないようだが、紫外線をあてると、青白色の強い蛍光を発する点状の部位がいくつも散在しており、小さな灰重石を伴っているのかもしれない。下写真は、皆川先生の「四国産鉱物種 2010年版」に掲載されている、同産地の硫砒鉄鉱の分離結晶。小粒ながら庇面を有する完璧な2重柱面がとても印象的である。

 

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 さて、四国における砒鉱石の分布は、「日本地方鉱床誌 四国地方」などによると、愛媛県では湯山の他に、別子鉱山や大久喜鉱山、市之川鉱山が、南予では御荘町周辺(荘和鉱山など)が挙げられている。徳島でも高越鉱山が記されているが、いずれも量的には微々たるものであり、これを目的に稼行されたり回収されたりした鉱山はない。古い文献(「有用鉱物の産地及用途」 大正5年)には、“自然砒”として愛媛県宇摩郡土居村の名前も見られるが、どのような産状だったのか今は知る由もない。一方、砒素を含む鉱物は、オルセル鉱(東赤石山)、コルーサ鉱(別子鉱山)、砒四面銅鉱(別子鉱山)、ゲルスドルフ鉱(福見山鉱山)、輝コバルト鉱(大久喜鉱山)、輝イリジウム鉱(東赤石山)、鶏冠石(頭集)、毒鉄鉱(頭集)アガード石(手島)、スコロド石(高越鉱山)、コニカルコ石(高越鉱山)、コバルト華(円行寺)、アルデンヌ石(細野鉱山)など(以上、「四国産鉱物種」皆川先生より抜粋)と結構種類も多いが、すべて日常眼にすることもない稀産鉱物ばかりである。恐ろしい砒素を含んでいるからといって、ほとんどの鉱物は強固な分子結合をしているので、有毒ということもなく、そう社会問題にしたり神経質に目くじらを立てる程のこともない。また、砒素を得るのに普通に利用されるのは、やはり圧倒的に硫砒鉄鉱であり、鉱石を熱して亜砒酸の形で蒸留抽出する方法が採られる。九州の土呂久鉱山のそうした亜砒酸による公害訴訟や、江戸時代から「石見銀山の鼠取り」として有名な銀山特製の殺鼠剤などで古くからその毒性はよく知られているが、こうした鉱山はすべて鉱脈型鉱山であり、変成鉱床の多い四国ではまず無関係と思われて話題に上ることも少ない。

 

 ところが、平成16年(2004年)に東予を襲った大水害は思わぬ波紋を拡げることとなった。市之川鉱山では、至るところで山腹崩壊が起こり、その河川流域は氾濫によって或いは埋没し或いは剥ぎ取られて眼を覆うばかりの惨状を呈した。この地区では避難が早くて人的被害がなかったのが不幸中の幸いであったが、道路は寸断され家屋は押し流されて甚大の被害を出した。数年以上経過した今日でもなお、その物質的精神的苦痛を癒されていない被害者が多いのには断腸たる思いである。一方、不謹慎かもしれないが、鉱物マニアにとっては100年に一度有るか無いかのラッキーチャンスで、狭い地域の鉱脈が同時に崩壊したために巨大な輝安鉱の塊状鉱石やノ玉がいとも簡単に採集できたのは夢のような出来事であった。堀 秀道先生も来新され、一抱えもある塊状鉱をこけつ転びつ担いで帰られたのは懐かしい思い出である。そのとき、岩の間を流れる水の色が異様に赤茶けていたのが今も強烈な光景として記憶に残っている。表面には油膜のような虹色も観察され、最初は鉱山機械などが錆び付いたまま放置され、その廃液が流れ出しているのではないかとも思ったが、その後、何度か訪問した折りも同様に広範囲に観察されることから、これこそ坑内に溜まった古い坑水そのもので、山崩れによってそのまま流出しているのだと確信するに至った。ちなみに下写真(左)は、堀先生が発見された塊状輝安鉱、最も大きい物は無垢の塊で重さは30kgほどもある。(右)は上流より流れ下る赤茶けた坑内水。すぐ下には民家も点在する。

 

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                                  (堀先生が採集された輝安鉱(左)と、鉱山跡から流出する坑内水(右))

 

 この坑内水は、フェリハイドライト (ferrihydrite) と呼ばれ、鉄分が多いために赤茶けて見える。しかし、それ以上に問題なのが、砒素を多く含んでいる点である。「地質汚染−医療地質−社会地質学会誌」(第3巻 2007年)の佐野 栄氏らの論文によると、「愛媛県市之川鉱山周辺の河川水には局所的に280μg/L におよぶアンチモンが溶存する。これは、輝安鉱を伴う母岩の化学的風化による。鉱山の下流側に位置する中央構造線部の河床からは,高濃度ヒ素を伴う還元状態の地下水が湧出し、河床には黄褐色鉄水酸化物の沈殿がみられる。中央構造線より上流側の河川水では、ヒ素とアンチモン濃度はそれぞれ 0.4~11 及び 8.7~280 μg/L であるが、中央構造線より下流では 8.2~39 及び 3.7~70 μg/L に変化する。・・・」とあって、いずれも長期に亘る観察と監視が必要であると結論づけている。砒素の河川における一般的な環境基準は、10 μg/L 以下であるから、市之川地域では相当高いとみることができる。この砒素はすべて、鉱山の母岩に含まれる硫砒鉄鉱に由来するものである。鉱床に砒素が含まれることは、早くも明治18年の日本鉱業会誌に「・・少量ノ硫化銅、酸化鉄、砒石及ビ雑石ヲ含有ス。」と記載があるのだが、混在する硫砒鉄鉱の結晶自体が非常に小さく微量であることからそれほど興味の対象ともならなかった、しかし、閉山から50年以上も経って、旧坑内で溶解濃縮され、このような形で再び地表に現れてこようとは誰も予想だにしていなかったことであろう。

 この流出が水都西条市の名声に仄かに暗い影を落としているのも事実で、小生にとっても由々しき懸念を少なからず覚えている。元来、西条の打ち抜き水は百年以上かけて石鎚山系からゆっくりと流れ落ちていて地表の水とは独立した伏流水であると信じられていた。それが万人の安心と信頼の源となり、環境省の日本名水百選にも選定されている訳である。しかし、“松山砂漠”とも揶揄された大干魃の年に、打ち抜き水の水位が異常に下がって住民が困惑しているとの報道があって以来、本当に百年かけて流れているのかという疑念を持つに至った。案外、地表の水も伏流水に関係しているのではないか?! それでも打ち抜き水がこれほどピュアなのは、平野部と巍々たる四国山脈との距離が極めて短く、その間に大きな集落もないということが最も影響しているのではないか?・・上流に位置する市之川鉱山の坑水が伏流水に流れ込んでいないと言う補償は何処にも存在しないのである。しかし、かく言う小生も西条の打ち抜き水の大ファンである。新居浜在住時には、香川に住む母のためにいつも遠回りをして打ち抜きの水を汲んで帰っていたし、適うものであれば老後は、水がおいしく霊峰石鎚が正面に望める“憧れの”西条の地を“終いの住処”にしたいと願っているひとりでもある。砒素の混入など全く信じたくもないし、そうであってはならないと強く思っている。それゆえに四国随一の名水とはいえ、過信することなく厳しい水質管理を継続していただきたいと心から願う次第である。水害から数年以上が経って、谷筋にも草木が繁茂し、以前のように赤茶けた水も目立たなくなった。市之川は再び緑多き静かな里に戻ろうとしているが、所有企業が坑水処理をしない限り、砒素を含んだ坑内水は今後も減ることなく加茂川流域の何処かに流れ続けていくことだろう。こうした鉱山の負の遺産と真摯に向き合い、行政と企業が協力してそれを解決して始めて、自ずから“纓を洗うべき”真の清流となれるのではないだろうか?チャーミングな外見とはうらはらな水質汚染の元凶たるこの小さな硫砒鉄鉱を見るにつけ、いつもそのことを思うのである。

 

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