辰砂
愛媛県東宇和郡日吉村の「双葉鉱山」は、愛媛県でもっとも古く代表的な水銀鉱山である。その歴史は遠く、徳川時代にまで遡るともいわれる。もっと想像を逞しくすれば、「日本書記」持統天皇5年(西暦691年)の「伊予国の宇和郡御馬(現在の三間)山の銀3斤8両(約2.1kg)と鉱石1篭が献上された」(伊予國司-田中朝臣-法麻呂等獻宇和郡御馬山白銀三斤八兩・礦一籠)という記事は、日吉村の水銀なのかもしれない。愛媛県では純粋な銀山はいまだ存在しないので、「白銀」とは水銀を指しているとも考えられるからである。それはともかく、明治にはいり「双葉鉱山」は本格的な操業を開始。藤田組(同和鉱業)や日本油脂などの太い資本下で、昭和30年頃まで命脈を保っていたという。鉱脈は砂岩や頁岩の割れ目に包胎しており、暗赤色の辰砂を中心に自然水銀もしばしば見られたそうだ。
この標本も、小さいながら暗赤色の結晶状の辰砂が集合する「双葉鉱山」の産状をよく表していると思われる。ややくすんではいるものの光にかざすと、透明感のある赤い色合いが何ともいえず神秘的である。へき開面は銀色に反射しているが、残念ながら自然水銀はみられないようだ。「愛媛石の会」K氏の標本などは、標本箱のなかに自然水銀がコロコロ転がっていたそうで、双葉鉱山の水銀品位の高さを物語っているものといえよう。
そんな双葉鉱山もいまは何も残ってはいない。ズリが川の対岸に見えるというが、急斜面の上、谷川に崩れ込んでいるので採集には細心の注意が必要である。