ボーリングコア

 

 

 これは、愛媛県宇摩郡別子山村の銅山川で拾った、探鉱ボーリングコアである。鉱山盛んなりし頃、鉱脈の富鉱帯を求めて、坑内、坑外双方からのボーリング調査は別子銅山でもしばしば行われた。有名な旧別子の「ダイヤモンド水」も、昭和26年の坑外試椎の際、80mあたりで水脈に当たり、滾々と清水がわき出したのはいいが、先端のダイヤモンドビットが回収できなくなったことに由来する。当時は工業用とは言え天然ダイヤが装着されており、「ダイヤモンド水」と名付けるのも決して過大表現ではなく、澄みきったダイヤの水を有り難く飲ませていただくと良い。

 しかし、そんな優雅な逸話とはうらはらに、ボーリング調査は別子銅山をはじめ、四国のキースラガー鉱床群の命運をかけた、会社の最後の望みの綱であったのだ。今、手元に昭和41年と44年の「金属鉱物探鉱促進事業団」による「精密調査報告書(白髪山地域)」がある。別子本坑と佐々連鉱山の中間、三波川帯がS状に褶曲する、いわゆる「富郷向斜」と呼ばれる地域を中心に深度2000mに及ぶボーリング調査が各所で行われた訳だが、結果は惨憺たるものであった。別子の鉱脈の延長線上に再び富鉱帯が有りはしないか?、あるいは露頭に現れない優勢な潜頭鉱床がひょっとして存在しはしないか?しかし、そんな秘かな大きな期待も遂には裏切られた。出された結論は余りに冷たいものであった。別子の深部鉱床にはもはや採算ラインにのる鉱脈は存在しない。露頭のない潜頭鉱床も、たとえ存在したとしても貧弱な鉱脈に過ぎない・・と。別子を長らえさせるはずの希望の探鉱は、結局、閉山の引導を渡すための逃れようのない証拠を提供する羽目になってしまったのだ。

 川原に無造作にうち捨てられたボーリングコア。それは、住友が代々受け継いできた「宝の山」大別子を救うために必死になって活躍した名もなき「兵どもが夢の跡」である。それから30年が経ち、コアの多くも流されて砂の下となり、あるいは夏草繁る土の下となって容易には拾うことが出来ないという。たまたま私の手元に辿り着いたこのコアを、当時の技術者の汗と涙の結晶と思い、いつまでも大事に保存してゆくつもりである。