大楠公像
アンチモニー製の大楠公像である。戦前に、おみやげ品?として売られていたものか?大きさは、台座も合わせてわずかに10cm程度。しかし、その躍動感といい、銘板の忠実な彫金仕上げといい、実物を見事に再現できていて、おみやげ品の域を遙かに凌駕するその精巧さには驚かされる。今なら、銘板なんかは印刷して張り付けるだけだろう。彫金なんか、そんな手間のかかるモノは出来てもやらないだろう。いや、見えない裏側なんかは何もしないで放っておくだけかもしれない。おみやげとはいえ、当時の職人芸の質の高さを物語る一品で、小生の宝物のひとつとなっている。
さて、皇居外苑にまします大楠公像は、別子開坑二百年を記念して、明治三十三年に住友が献納したものである。岡倉天心の指導のもと、楠木正成は高村光雲、騎馬は後藤貞行、鋳造は岡村庄次郎と、当時の芸術界が誇る最高スタッフにより10年の歳月をかけて完成された。銘板には、「臣祖先友信、伊豫別子山の銅坑を開きしより、子孫その業を継ぐこと二百年、亡兄友忠深く国恩を感じ、その銅を用いて楠公正成像を鑄造し、これを闕下に獻ぜんと欲す。允を蒙りて未だ果たさず、臣その志を継ぎ、工事を菫し、工竣るに及び謹みて獻ず。明治三十年一月 従五位臣住友吉左衛門謹みて識す。」と刻まれている。ちなみに、この騎馬像は、隠岐から還幸された後醍醐天皇を兵庫にお迎えした正成が、勢い切った馬を右手の手綱で御しつつ、やや頭を下げて馬上より拝謁する姿を模したものという。
後醍醐天皇の夢に神の如く現れ、神の如く戦い、神の如く去り、そして神の如く人々の心に今なお芳しき大楠公。700年の時の流れを越えて、別子の銅に化現した姿で、禁闕を独り護持する孤高の姿はいつ見ても感動的で、南朝の縁深き愛媛県民最高の誇りといっても過言ではなかろう。
(銘文、写真は「住友の風土」(住友商事)より転載させていただきました。)