蘆屋橋 (昭和10年頃)
採鉱の中心となった端出場と立川方面を結ぶ吊り橋として、昭和8年に竣工した。
橋脚のコンクリートや欄干がまだ真新しいので、完成間もない頃の写真であろう。
現在のマイントピア別子にかかる「端出場大橋」の位置とは異なり
やや北側、「道の駅」第2駐車場付近から、対岸の奥平集落に向かって懸けられていた。
今も橋脚の一部が残っているが、河岸の草木が繁茂しているため道路からはほとんど見えない。
国領川の左岸には、下部鉄道の水平道が見え、遠く斜面の構造物は黒石付近の建物群と思われる。
立川から右岸沿いの道路もようやく整備され、本格的な端出場時代を告げる象徴ともなった。
上は、近藤廣仲翁写真集 「別子銅山風土記」に収められる、竣工式の様子。
一般の橋ではないためか、親子三代渡り初めの儀式もなかったようで極めて簡素な様子だが
そこがまた、合理主義に徹する住友の社風らしくて、かえって好感を抱かせる。
ちなみに当時の地図では、「芦谷橋」であるが、絵葉書では「蘆屋橋」となっている。
「谷(や)」と「屋(や)」を取り違えたのかもしれないが、蘆屋のほうがむしろ趣が感じられる。
さらに、橋梁上部に付けられた風雅な電球に灯が点る宵闇の味わいは、また格別であったであろう。