端出場の景 (昭和初期)
蘆屋橋付近から望む端出場である。空中には東平から黒石に向かう索道搬器が浮かんでいる。
正面、山の斜面に並んで見える巨大な建物群は、打除住宅の在りし日の姿である。
右側の真新しい白い建物は、貯鉱庫+破砕場で、ここから下部鉄道に鉱石が搬入される。
そうすると左側の四角い建物が手選鉱場ということになる。手選は女性の職場であった。
その手前の和風建築は、端出場駅と配給所であろう。
季節は春先であろうか。木々も落葉し、山もうっすらと雪が積もっているのか寒々としている。
昭和6年、俳句同人に招かれて新居浜を訪れた河東碧梧桐は、次の一句を詠んだ。
君を待したよ桜散る中を歩く
「層雲」に掲載されたこの自由律の句は、後続に多大の影響を与えたと謂われ、
1961年、生子山に句碑も建立されたが、実際は端出場での作品と伝えられる。
当時、水力発電所付近は、桜の名所であったということである。
この世のものとも思われない幽かな情感、彼岸での友との再会も斯くのごときかとも思われ
夢か現か、虚無縹緲、夢幻の境地に我がこころを誘わせてくれる素晴らしい一句である。
尾崎放哉の「追っかけて追い付いた風の中」と双璧をなすものと小生は信じている。
時の移ろいとともに端出場の風景も人も変わったが、
昔と変わらぬ美しい桜の下で、小生も古き友を待ってみたいものである。
昭和6年、打除付近を散策する碧梧桐(中央)。右は近藤廣仲翁、左は秋山英一先生である。
(「別子銅山風土記」より転載)