ベルチェ鉱
市之川の母岩の小さな間隙に生じたベルチェ鉱の針状結晶である。採集品なので、一部は酸化されて黄色い黄安華となっている。「じゃあ、赤っぽい部分は紅安鉱ですか?」と皆川先生にお聞きしたところ、成分分析しないとわからないが、たぶん違うだろうとのこと。市之川から紅安鉱が産出したという記録もない。ベルチェ鉱も新鮮なものではないので、青錆色から黒色に変化しているが、グチャグチャと群生している様子は短い“髪の毛”のようでもあり少々気持ちが悪い。「毛鉱」と称される鉱物もあるが、分子式は Pb4FeSb6S14 であり、ベルチェ鉱の FeSb2S とは異なっている。昭和30年発行の「田中大祐翁小伝」には「・・ことに翁が明治二十四年、市ノ川鉱山で毛状アンチモニーを発見したことは、学界に一大センセーションを捲き起こしたのである。」とあり、これと思われる標本が西条市立郷土博物館に保存展示されているが、確かにこの標本とは明らかに形状が異なっている。また、「市之川地区の歴史」という書物には「・・矢野友太郎さんのお父さんが、お山神さんの横の河原で毛鉱を見つけたという。針みたいなハクがごじゃごじゃと無数に集まり、それは奇妙な眺めであったそうだ。」と記されているが、これはなんとなく、写真のようなベルチェ鉱であったような印象がある。
最後に、伝家の宝刀「日本地方鉱床誌」を見てみると「毛鉱は古宮マンガン鉱山に少量産出した。また市ノ川および弘法師にも毛鉱を産したといわれるが明らかでない。」といまひとつ判然としないのだが、やはり西条市立郷土博物館蔵のものを「毛鉱」とみるのが妥当のようである。田中大祐翁については、また別に詳しく記載する予定であるが、世界の博物館にある立派な輝安鉱標本も、ほとんどが翁の手を経たものであり、「世界の市之川」を世に知らしめた希代の大恩人である。