水晶(市之川)2

  

 

 美しい「市之川鉱山」産の水晶である。鉱山稼行当時の標本であるので、透明感も良好で風化のあとも見られない。当時はこの程度の水晶はズリ場にゴロゴロしており、子供たちのよいオモチャであったそうだ。また坑夫さんも子供たちのために、美しい水晶やマテをポケットに忍ばせてはよく分けてくれたそうで、なんとも良き羨ましい時代であった。

 有能な坑夫になると、水晶の産状や輝安鉱との共存の具合で、どの坑道の水晶か言い当てることができたというのだからスゴい話である。市之川鉱山の縦ヒには、5つの大きな鉱脈がある。「亀ヒ」、「鶴ヒ」、「千荷ヒ」、「大盛ヒ」および「幸ヒ」であるが、市之川鉱山の坑夫長にして「市之川のヌシ」と呼ばれた矢野弥蔵氏によると「亀ヒの輝安鉱に石英が付いているものが多い。」のだそうである(資料集 市之川鉱山)。もし、お持ちの輝安鉱があれば調べてみられるとよいだろう。

 曽我部親信という人の書いた「市之川鉱山沿革誌」という書物には、市之川鉱山の発見(再発見というべきか)を「・・・延宝七年(1679年)九月五日、保野山ヨリ市之川山ニ通ズル道路破壊セシニ付、山民ニ命ジテ修繕セシム。親信、山民ト共ニ保野山字仏ヶ峠ニ於テ午餐ヲ喫シ休息ス。然ルニ足下ノ巌石ト巌石ノ間ニ槍ノ穂ノ如キ形ヲセル石(石英ナラン)アリ。直チニ山民ニ命ジテ堀出サシメシニ其下ヨリ燦然タル形ヲナセル一塊ノ金ヲ堀出ス。名ヅケテ白目ト云フ。・・・」と劇的に描写されており、人々の驚きと喜びが目に見えるようである。それほど昔より、輝安鉱と水晶の共生は知られていた訳であって、とても興味深い記述でもある。