輝安鉱10(母岩付)

  

 

 “市之川産”輝安鉱の結晶標本が貴重であることは言うまでもないが、ブランドものであるがゆえに、どこででも見ることができるというのは、ある意味で皮肉でもある。昔から輝安鉱の示準標本であるため、世界中の大学や博物館が争って購入したためである。それでは、どこにどのような標本が保存されているのかと問えば、おそらく満足な答えは返ってくることはないであろう。以前に、市之川公民館長であった伊藤勇先生が、世界中の博物館に照会して纏められた報告が「続資料集 市之川鉱山」(西条市教育委員会発行 平成6年)に収められているが、労作とは言え、これとて全ての所在を網羅している訳ではない。鉱山が閉山してから50年が過ぎた現在では、新しい結晶標本の供給は皆無であるから、小生もできるだけ地道に博物館巡りをして、今後もその所在を確かめ、いつか詳細な「輝安鉱標本ガイドマップ」を作ることが夢である。

 それはさておき、さまざまな書物に紹介される輝安鉱の写真を見ていると、「母岩付」結晶というのは以外に少ないことがわかる。これは、母岩が堅いため、タガネで母岩とともに切り取ろうとすると、柔らかい結晶がその衝撃に耐えきれずに砕けてしまうからであろう。従ってきれいに結晶を取り出すには輝安鉱の柔らかい根本部分にタガネを入れるしかなく、大きな結晶標本には母岩付きは少ないのも道理である。この標本は、そんな母岩付きの貴重なもので、輝安鉱の付着具合や成長の仕方をよく理解することができる。いわゆる「ガマ」の内部もこのような形態であったのであろうと、ガマを最初に開く採鉱夫のみが味わう感動の一端を共有することができ、眺めるほどに、はるか昔の栄光をしみじみと偲ぶことができる逸品でもある。

 先日、東京の鉱物科学研究所を訪れた際、堀 秀道先生に秘蔵の輝安鉱標本を見せていただいた。これは、先生の「楽しい鉱物学」(草思社 1990年)の巻頭を飾っているすばらしいものであるが、その写真ではよくわからなかったが、裏をひっくり返すとしっかりとした母岩も付着していた。さすが、先生ご自慢のお宝!「お見それいたしました。」と感服してひれ伏すしかなかった。