これは悲しい標本である。市ノ川の老人が大切に持っていた物を骨董屋が買い受けたのだという。標本としては並で、長さ10cmあまり。辛うじて「頭」が付いているが、柱面には無数の傷があって、おそらく発破で粉々になった断片であろう。従って戦後、閉山間際に採掘されたものと考えられる。当時の採鉱夫は、多かれ少なかれ、このような結晶を記念に隠し持っていたそうで、見つかれば、即、没収となるため、弁当箱や箸箱に潜ませて、秘かに家に持ち帰ったという。市ノ川閉山は昭和32年。すでに半世紀が過ぎようとしている。珪肺症や振動病に苦しみながら、年老いた採鉱夫達は今も病気と闘っているが、わずかな年金での苦しい生活が、それに追い打ちをかけているのが現状である。大切にしている標本を手放さざるを得ない心情は察して余りあるものがある。
だから、少しでも高く買ってやってくれ、と骨董屋は言う。・・なるほど、そうきたか!・・しかし、それも好し!と潔く「言い値」で買ってしまう私だが、銀白色の輝きを失わせない保存の良さはさすがだ。やはり「餅は餅屋」なのだ、と思う。この輝安鉱自身も、いままで大切にしてくれた主人との別離をとても悲しんでいるに違いない。