緑閃石(透緑閃石)

irazu-4a  irazu-4b

 

 愛媛県宇摩郡土居町五良津谷の古典的銘柄標本である緑閃石。以前は陽起石とか透緑閃石の名称で呼ばれていたが、今は「緑閃石」として統一された感がある。蛇紋岩の風化地帯で滑石に埋もれて産することが多いが、別子銅山の結晶片岩帯では、これのみが塊状で産出したこともあり、同片岩帯の主要な造岩鉱物のひとつとして普遍的に見いだすことができる。(マイントピアにその標本が展示されている)しかし、関川流域のように川原に至るところ転がって容易に採集可能な地域は、本邦でも稀有な名産地と言うことができるだろう。残念ながら、川原に転がっているものは川磨れによる摩耗が激しく、おまけに2方向の完全な劈開のために結晶のあちこちがはげ落ちて鑑賞に堪えうる標本は少ない。

 五良津谷の上流には、戦前、滑石を採掘していた「宇野鉱床」と呼ばれる小規模な鉱山(月の瀬鉱山?)があったので、その辺りに行けば、あるいは立派な標本が今も散乱しているのかもしれないが、道もない猛烈なブッシュと崩壊した沢筋のため、皆川先生から、だいたいの場所は聞いているのだが、いまだ発見できずにいる。多くの鉱物関係の本を飾っている巨大で立派な標本は、ほとんどがこの鉱山産出の標本で、稼行中に採掘されたと思われ、リスもなく、結晶面も美しく「軟玉」と名付けてもなんら遜色のない、「硬玉(翡翠)」と並ぶ日本産宝石のひとつである。この標本も、そんな部類に入る古い標本で、緑閃石の美麗な特質を充分に楽しむことができるのだが、少々、小さいという憾みが残るのは残念である。

 一方、東赤石のちょうど裏側に当たる別子山村保土野や、さらに山を越した高知側、白髪山冬の瀬付近にも同様の産出地があることが知られていて、最近はそうした地域の標本が出回ることも多い。しかし、いずれも五良津産に較べるとやや緑色が明るく、ガラス質というか、針状の繊維が硬く鋭い印象があると思うのは小生だけであろうか。そこで和田維四郎博士の「日本鑛物誌(明治37年)」と「本邦鑛物標本(明治40年)」を紐解くと次のように記載されていた。

 

「陽起石(日本鑛物誌)・・此鑛は結晶剥岩中に産出するも鮮明なる結晶を成すもの尠(すく)なし。其最も佳良なるものは伊豫宇摩郡関川村五良津山に産出す。白色なる滑石剥岩中に緑色なる斜方柱状の結晶をなして介在す。其長さ100「ミリ」を越すものあり。佐藤氏(地質九巻100號)に依れば結晶は概ね柱状にして、端面は全く之を見ること無く、往々繊維状となることあり、脆くして直軸に直角に或は斜角に折るヽこと多く、角閃石普通の劈開面なる柱面に沿うて劈開することは却て稀なり。・・」

「陽起石(本邦鑛物標本)・・土佐長岡郡吉野村産・・緑色にして光輝強く斜方柱状を為し淡緑色なる滑石中に介在す。其径十五短径五「ミリ」内外にして長さ七〇「ミリ」以上あり。伊豫五良津産に酷似するも是れよりは鮮明なる孤體の結晶を為し且伊豫産の如く脆弱ならず。」

 

 和田博士も、小生と同じような印象を持っていたようで、ちょっと嬉しかったのだが、Mgなどの微妙な成分の差が、そんな地域差に原因しているのだろう。それでは、どちらが先に知られていたのであろうか。いずれも明治時代からの名産地で、これはさすがに軽々には判断しかねるが、木内石亭の「雲根志」には、「陽起石 本邦に稀なりと前編に記せしは大に誤れり。近頃尋求るに至品の物最多し。藝州一志郡垂水山 江州石山 信州木曽山 賀州白山温泉 濃州日坂 その他諸国にあり。」とあって四国の具体的な記載がないのは遺憾である。しかし、かのシーボルトが遺した「日本産鉱物目録」(「シーボルトの21世紀」東京大学総合研究博物館 所載)の中に、「土佐、阿波産の陽起石」が記載されているのは注目すべきだろうと思う。少なくとも江戸時代後期には、高知県の緑閃石が世間には知られていた証拠であり、ぜひライデンの「オランダ国立自然史博物館」に保管されている現物の標本を見てみたいものである。また、ここで阿波産とあるのはどこの産地であろうか?眉山あたりの蛇紋岩帯で石綿とともに産したのであろうか?同標本の中には「AWA」と記された立派な輝安鉱標本もあって我が市之川鉱山ならぬ徳島県、おそらく相生鉱山産であろうが・・の鉱物が多いのもさらに興味深い。さしずめ伊予宇摩郡あたりの徳川幕府サマサマの天領とは違って、阿波藩や土佐藩などは油断すればすぐに倒幕を企てるチャキチャキの外様大名であったので、異国への情報提供にも友好的で積極的であったからなのかもしれない。

 

 余談ではあるが、緑閃石は、古来、漢方薬に使用され「神農本草経」という中国古代の書物には「●陽起石。一名白石。味鹹微温。生山谷。治崩中漏下。破子藏中血。癥瘕結氣。寒熱腹痛。無子。陰陽痿不合。補不足。」つまり、腎虚によるインポテンツや子宮虚寒の治療薬として珍重され、最近まで実際に粉末にしたものが処方されていた。それが「陽起石」の語源ともなっている訳だが、有効性はともかく、緑閃石は、悪名高いアスベストの親戚筋にも当たる鉱物で人体に極めて有害なため、さすがに日本国内の処方や販売は現在、禁止されている。しかし、男性諸氏の悩みは尽きず、個人輸入で中国から流入する件の漢方薬は相変わらず多く、医学界では、少々由々しき問題ともなっているようである。

 

LIN_005

   back