アルデンヌ石、サーサス石

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 西条市から黒瀬ダム、千野々の集落を過ぎ加茂川の広い川原を右手に見ながらしばらく行くと2,3軒の旅館が建ち並ぶ三叉路に出る。左に取ると石鎚ロープウェイ、右に進むと高瀑へと通じている。ここが「河口」である。往年は石鎚登山の最前線基地で、「今宮道」や「黒川道」と呼ばれる長い登山道を、各講に分かれた何千、何万という信者が成就社へと向かっていた。ロープウェイが開通してからは、そういう風物詩もすっかり廃れてしまったが、今なお「登山道」自体を神聖な道場と考える熱心な石鎚信者や、歩き遍路によって固く踏みしめ守られている。さて、河口付近は、三波川帯の緑色片岩が優位を占めるが、紅簾片岩もちらほらと露出している。その中から愛媛では珍しいアルデンヌ石とサーサス石が、皆川先生によって見いだされた。写真の黄褐色部位がアルデンヌ石、赤褐色がサーサス石である。特にアルデンヌ石は、砒素、バナジウムを含むことで有名である。バナジウムを含むマンガン鉱物は、山を一つ越えたところの「鞍瀬鉱山」(最近は乱掘著しくほとんど採れなくなったというが・・)の灰バナジンザクロ石もよく知られているが、「マンガン、砒素、バナジウムの組み合わせは地球化学的に面白く、何か特別の生成条件を示唆していると思われる。」と堀秀道先生も指摘されている(楽しい鉱物図鑑A)。 また加藤昭先生の「マンガン鉱物読本」(関東鉱物同好会編)にも、ここの両鉱物の素晴らしい写真が掲載されているので参考にされると良いだろう。地味ではあるが、色合いも美しく小生の慈しむ鉱物のひとつである。

 この付近の紅簾片岩を磨いたものは「石鎚べにすだれ」(紅簾の名もこれに由来か?)とも呼ばれ、鑑賞石のひとつとして珍重されている。宇摩郡新宮村の「紅新宮石」もバラ輝石やハウスマン鉱、テフロ石など数色のマンガン鉱物が入り交じるカラフルさが売りの美石で、昭和天皇に献上されたほどの誉れを持つ。しかし、こちらも乱掘がたたって今はほとんど絶産状態にある。かって昭和30年頃、石鎚を探勝された鉄道省の井上万寿蔵氏は、ここ河口付近の風情を殊に気に入られ、「渓谷を彩る緑色片岩、流れる水の青、茂る木々の緑」を組み合わせて「三碧峡」と名付けられた。そんな川原の大きな青石は石鎚山系が誇る名物であったが、こころない庭石業者が深夜密かにショベルカーやクレーンカーで乗り付けて、紅簾片岩とともに根こそぎ持ち去ってしまったために、今はもう昔日の面影を残していないという。悲しいことである。

 

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