満礬柘榴石(黒滝)

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 高縄半島基部は、約9000万年前に形成された領家花崗岩と、約6000〜7000万年前の和泉砂岩層の接触部にあたり、ホルンフェルス化した変成砂岩が松山から東予方面にかけて帯状に分布している。この標本は、その帯状地帯にあたる丹原町黒滝付近から採集されたもので、きめ細かく堅く引き締まった砂岩の中にキラキラ光る柘榴石が全体にわたって散在している。柘榴石も、小粒ながら十二面体の結晶面も整い、赤褐色の透明感にも溢れた大変美しいものである。

 さて、これが鉄礬柘榴石なのか満礬柘榴石なのかということになるとなかなか微妙な議論となってくる。同じような産状を示す松山市忽那山の柘榴石は、微量のマンガンを含むため満礬柘榴石であろうと推測されている。実際、皆川先生の「愛媛の鉱物(2000年版)」には鉄礬柘榴石として記載されていたが、「四国産鉱物種(2008年版)」では、満礬柘榴石に変更となっている。一方、岩城島のホルンフェルスによるものは灰礬柘榴石として紹介されるが、こちらは明るい茶褐色で、黒滝産とは明らかに色合いも異なっている。同じ花崗岩による変成作用でも形状も色合いもさまざまで結局は成分分析をしなければ結論はだせないのであろう。加藤昭先生の「変成鉱物読本」にも、満礬柘榴石も鉄礬柘榴石も、泥質岩起源の接触変成岩中に産し、化学組成上連続してしまうこともあるので識別できない場合もあるとのことでやはり一筋縄ではいかないようだ。いずれ、忽那山と岩城島産の柘榴石もupする予定なので貴兄の目で確かめていただきたいと思う。まあ、異論もあるだろうが、ここでは満礬柘榴石として記載させていただいた。

 

 この標本は鑑賞石を求めて沢に入ったコレクターがたまたま見つけたもので、喜び勇んで周囲を丹念に探索したが、これ以外には発見できなかったという。とても珍しい産状なのかもしれないし、五良津のように案外普遍的にみつかるものなのかもしれない。ちなみに小生も、以前に下流に当たる田滝川や西山興隆寺あたりの川原で少し捜してはみたが結局、採集することはできなかった。

 黒滝も集落はとっくの昔に廃村となり黒滝神社だけが寂しく残っているという。神社も標高750mほどの山上にあって前々から一度訪問したいな、とは思っているが未だ果たせないでいる。幸いにも、 「お気楽会社のアルプ日記」 というブログに詳しい訪問記があるので、興味がある方は覗いてみられるとよいだろう。お若い女性の方なのに、郷土の廃村を実際に訪問して記録している姿勢には感心させられる。

 

 蛇足ではあるが、黒滝神社は、石鎚神社とは犬猿の仲であることでも有名である。従って今に田滝地区の人々は石鎚にはお参りしない。伝説によると、石鎚と黒滝の神様は兄妹の関係で昔から兄妹喧嘩が絶えなかったそうだ。あるとき互いに石合戦をしたとき、石鎚の神様が投げた石が力余って黒滝神社の神域を侵したため(やっぱり男のほうが力が強かったためか!?)、黒滝の神様は以後、決定的に石鎚とは敵対関係になってしまったという。一方、田滝の住人も、石鎚山に登ったら石鎚大神に鎖から投げられるとの理由で絶対に参拝はしない習わしとなっている。そんな黒滝神社からは石鎚山が綺麗に遠望でき、絶好のビューポイントなのだが、ここでは石鎚の話題は一切タブーである。また、このあたりでは深夜になると「カミカグラ」と呼ばれる笛や鈴のお神楽の音が何処からともなく聞こえてくる神秘スポットとしても知られていて、それほど気性が強く霊威のある女神様でもあるということだ。まあ、石鎚の「天狗倒し」と同じようなメカニズムなのだろうが、度胸のある方は、柘榴石を採集ついでに、涼みがてら一晩テントで寝てみては如何だろうか?

 

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