惣開郵便局

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明治後期の惣開地区の古写真である。正面には住友銀行新居浜支店(現 住化歴史資料館)が見えている。

水路に架かる橋の向こう側、左手が「惣開郵便局」、右手が「竹岡回漕店」で、回漕店の後ろはすぐ海となる。

回漕店の提灯には「木津川丸」の文字も見える。おそらく新居浜−大坂航路の艀を受け持つ会社なのだろう。

橋の手前には宇治茶販売と菓子調進所が並んでいる。菓子舗の看板には「嘉榮堂支店」と書かれてあるようだ。

突き当りを左に曲がると、総支配人宅、接待館と続き、右側には別子鉱業所事務所の正門が見えてくるだろう。

この項では、長く新居浜本局の役割を果たしながらも、今は消滅した惣開郵便局について述べてみようと思う。

試みにWikipediaで「新居浜郵便局」を調べると、沿革が列記されているのでその一部を抜粋させていただく。

 

             1880年(明治13年)6月 新居浜郵便局(五等)として開設。

             1903年(明治36年)2月 移転とともに、惣開郵便局に改称。

             19xx年          新居浜郵便局に改称。

             1967年(昭和42年)2月 新居浜市大字宮北甲から、同市字李甲に局舎を新築、移転。

             1986年(昭和61年)3月 局舎新築。

    

「新居浜郵便局」の改称年月日は不明とのことだが、「躍進 新居浜」によれば昭和14年3月1日となっている。

もともと明治13年設立の新居浜郵便局は「登り道」の現 伊予銀行の場所にあって、これが町の本局でもあった。

それが明治36年に惣開に移転することになったので、無集配局に格下げとなり「新居浜東町郵便局」と改名された。

ちなみに昭和14年でも新居浜には郵便局は3つしかなく、この2つの他にわずか久保田郵便局があるだけである。

移転は、住友の中枢が、口屋から製錬所の出来た惣開に移ったからだが、町民にとっては甚だ面白くなかったろう。

当時の登り道と惣開は、蛇行した金子川を挟んで双方の連絡路も迂遠であり一般の町民には遠い所だったからである。

下部鉄道が開通し、ただでさえ輸送路としての「登り道」の命脈が尽きかけているのに、本局までが無くなるとは・・

 

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                             (惣開郵便局の正面写真。「四国電信電話事業史」(昭和35年)より)

 

逆に明治36年の移転は、新居浜の中心が惣開であり、新居浜すなわち住友だという無言の威圧を内外に知らしめた。

その状況を知る手がかりが新居浜初代名誉市長である「白石譽二郎翁伝」(昭和50年)にあるので少し記しておこう。

白石譽二郎は、時の別子総支配人、鷲尾勘解治と協力して今日の工都新居浜の基盤を築いたことで高く評価されている。

市長の退職金にあたる「慰労金」をすべて市に寄付して「武徳殿」を建設したことで記憶されている方も多いだろう。      

 明治36年、新居郡郡会議員であった若き譽二郎は、有志と茶話会を組織して郷土の時事問題を中心に討論をしていた。

折しも、時の住友支配人、中田錦吉氏が中心となって、登り道の郵便局を惣開に移転させようという噂が耳に入った。

さっそく茶話会で議論されたが、郵便局という公器を、一会社の都合で移転させるのはよろしくないとの結論に至った。

支配人からは、「移転を認めてくれたら、毎年教育費として百五十円を寄付しよう。」との破格の譲歩案が提示された。

しかし郷土愛に燃える血気盛んな譽二郎は、そんな甘言に惑わされることなく、なおも会社に移転撤回を迫ったところ、

中田氏は「そうですか、ではやむを得ないでしょう。」とさっさと交渉をうち切り、計画通りに移転を強行したという。

おまけに代々の惣開郵便局長は、住友の縁故者が任命されたというのだから、「住友にあらずんば・・」の感を強くする。

住友私設電信取扱所をも吸収した惣開郵便局は、それから約60年間、名実共に新居浜に君臨することになるのである。

白石は白石でこの挫折を教訓として、住友と対立するよりは寧ろ利用して共存共栄を謀るのがよいという新たな信念で

新居浜港湾整備、昭和通り建設などを次々と成功させた功は、住友に「一矢報いた」と言っても過言ではないだろう。

昭和通りが完成したおかげで口屋付近はふたたび息を吹き返し、昭和の終わりまで繁華街としての殷賑を保つのである。

さしも繁栄を極めた惣開郵便局も、市街地が次第に南部に拡がるにつれて遂に市役所近くに移転することになるのだが

別子閉山が確実になった昭和40年まで、惣開に存在し続けたという方がむしろ驚嘆に値するというべきかもしれない。

下写真は昭和49年の惣開周辺。青丸が惣開郵便局。すでに局自体は移転後だが、建物はまだ残存していたのがわかる。

 

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そして、下が平成22年夏の惣開郵便局付近の景観。左写真は当時の絵葉書とほぼ同じアングルで撮影している。

正面に旧住友銀行新居浜支店の屋根が見え、鉄製の水路橋も架かっている。郵便局はその橋の向こう側にあったので 

舗装道路と変じて、当時の遺構は何も残っていない。右写真は北側から撮影したものだが、水路だけが健在である。

インターネットには、この写真に写る古い倉庫風の建物が郵便局の遺構だと指摘しているサイトもあるが、

絵葉書を見る限り、倉庫はお茶屋と菓子舗の場所に当たるので、おそらく郵便局とは無関係の建物なのだろう。

今はわずかに、エンタイヤ切手に残る力強く押された郵便局の消印に、権勢を誇った惣開の昔を偲ぶだけである。

 

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                                   (平成22年夏の惣開郵便局跡と明治42年元旦の消印)

 

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