(東京大学総合研究博物館)
2001年7月14日から9月28日まで、東京大学本郷キャンパスの「東京大学総合研究博物館」で開催された「和田鉱物標本展」に行ってきた。目当ては、もちろん「市之川鉱山」の輝安鉱であるが、その他、日本を代表する巨大な素晴らしい標本群は、どれも目を見張るばかりで圧倒される。大英博物館が、時価、数百億円の値打ちを付けたというのも充分うなずくことができる。まさに国宝級の標本が一堂に展示されているわけだ。これらが、ほとんど和田維四郎教授一人によって蒐集されたというのも驚きである。和田維四郎は若狭、小浜の人。明治18年、29歳で東大教授に就任して、日本鉱物学の基礎を築いた。著書「日本鉱物誌」は、今も不動のバイブル的稀覯本である。(本展示を記念して東京大学出版会より復刻された)その後、農商務省地質調査所長や八幡製鉄所長官を歴任。終生を通じて鉱物標本の蒐集に飽くことはなかった。日本鉱物界にとって和田コレクションは得難い宝だが、当時、和田維四郎という人物を輩出したことこそ、日本にとって最大の至宝といって過言ではないであろう。和田教授の死後、膨大なコレクションは、三菱の岩崎家に買い取られ、その多くは現在、兵庫県の「生野鉱物館」で常設展示され見ることができる。われわれにとっては嬉しい限りだ。三菱の、鉱物標本に寄せる姿勢と、その太っ腹には脱帽である。
展示された標本は、どれもこれも大きくていつまで見ていても飽きることがない。生野鉱物館で展示されていないものもあって、いったい何本の輝安鉱を所有していたのだろうと疑問を抱くとともに、よくこれだけの標本を置くスペースがあったものだな、大きな自宅だったのだろうな?と妙な感慨が沸き上がってくる。質量ともに世界に誇れる標本であるが、鉱山の消滅した日本で二度と得ることの出来ない貴重な骨董品である、というのがちょっと寂しい。じっと見つめていると、かって盛況だった日本の鉱山が思いやられて、標本たちも心なしか悲しい表情を見せている。和田コレクションは、日本の鉱山の巨大な鎮魂歌でもあるのだ、と思う。
さまざまな感慨を抱いて玄関に戻ると、大きな別子銅山の鉱石の研磨標本が眼に入った。大きすぎて動かすことができず、ずっとここに在るのだという。都心にいながらにして、別子の鉱脈を毎日見ることができるとは本当に羨ましい限りである。さすがは日本の最高学府!最近の目先の実学的風潮に染まることなく、明日の日本を担う基礎研究に邁進していただきたいと願いながら博物館をあとにした。