愛媛大学ミュージアム

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  平成21年12月26日、かねて念願であった「愛媛大学ミュージアム」を訪問した。場所は、愛媛大学城北キャンパスの一角、年末の、それも冬休みの土曜日ということもあって構内の人影も疎らのため、怪しげな小生を誰何したそうに睨んでいる守衛のオジサンに“作り笑い”ですり寄って、その所在を確認する。歩くこと3分ほどで博物館前に鎮座するサインストーンを発見。はやる心を抑えつつさっそく建物内に入る。ところが肝心の博物館入り口がよく分からない。廊下を右往左往するのだが大学特有の無機質の扉が両側に並んでいるだけで展示室らしきものはない。あわててもう一度外に出るも場所に間違いはなさそうだ。試行錯誤を繰り返してやっと入り口に到達したのだが、なんと、エントランスホールは中庭から入っていく構造だったのだ。これも、「科学は迷うことが大切である」という箴言を知らしめるための市民への警鐘なのか・・?などと下らないことに感心しつつ入館。受付のホールはさすがに今流行りのゆったりとしたスペースで、美しい受付嬢も印象的である。入館料も記帳も必要ないことは知っていたが、せっかくなのでそれを訊くフリをして2言3言、言葉を交わす。「とても綺麗な施設ですね。」「ハイ、出来たばかりですから・・中のラウンジもここの自慢ですのよ。」「いや〜、あなたも負けないくらい自慢ですよ。」と言いかけたが、セクハラ、パワハラはどこの大学でも今、大問題になっているご時世なので、グッと抑えてから展示室に進んでいった。

 

 内部は「進化する宇宙と地球」「愛媛大学と愛媛の歴史」「生命の多様性」「人間の営み」のテーマごとに仕切られており、順路で迷うことなく一周できるようになっている。目的の鉱物スペースは、入ってすぐの「地球の進化」コーナーに纏められていて、上写真(右)が、そのすべてである。大型標本スペースは、槙野川、高殿産の沸石類がほとんどを占め、別子銅山産のキースラガー、大久喜鉱山産のサーピエリ石が1点づつ展示されている(下左)。別子のキースラガーは小児頭大の塊状鉱で、品位2〜3%の、いわゆるシロジと呼ばれるものだ。おそらく皆川先生の採集品であろう。いまのところ、これ以外に銅鉱石類は見当たらないようだ(下右)。別の展示ケースには、五良津産のコスモクロアの大型標本があった。小生の頭の中には、糸魚川・姫川産の鮮緑色のイメージが強かったので、ややくすんだ草緑色の外観と、しかも角閃岩と交わるこのような粒状の結晶体は、結構、五良津の川原にいくらでも転がっていたような?記憶もあり、これが本当にコスモクロアなのか?という意外な印象を受けたのだが、さて諸兄の感想は如何だろうか?いずれにせよ、コスモクロアは世界的な稀産鉱物で、しかも隕石中から発見されたという曰く付きの注目鉱物だけに、一見の価値は充分あるだろう。

 その他、展示物は結構多いが、ほとんどは地球進化を物語る世界各地の岩石標本が主体で、正直なところ、愛媛の鉱物マニアにとっては若干の物足りなさを感じるのは否めないだろう。しかし、今回の開館がとりあえずの見切り発車であることも考慮に入れて、今後のさらなる発展を楽しみにしたい。

 

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 次の「愛媛大学と愛媛の歴史」は、ある意味で度肝を抜かれる。四国遍路の歴史と解説である(下左)。人文系に専門の研究者がおられるためであろうか?まあ、どこの博物館でも、時系列的な配列になっているので文句をいう筋合いではないのだが、前のコーナーで、地球の始まりから宇宙の果てまで飛んでいった我がこころを、再び四国に帰還させ巡礼に順応させるためには少々の時間が必要である。「愛媛大学の歴史」、これは「愛媛大学ミュージアムとは何か?」を知らしめるためにぜひとも必要な主題ではあるが、どちらかと言えば、エントランスホールに展示した方が馴染むような気がしてならない。順路は、彼女が自慢するシックな雰囲気のラウンジを通り抜けて、生物学的な主題に移り、さすが昆虫や古生物の標本には見るべき物が多い。解説も、大学だけに、教授をはじめ研究者が直接作成しているのだから詳細でアカデミズムの塊である。誰もいないと思っていたのに、“以外にも”ここは小学生や中学生が数多く屯していて写真を撮ったりメモを取ったり忙しく情報を収集していた。冬休みの自由研究にでもするのであろうか?・・さらに「人間の営み」の製鉄の歴史と発展は特に印象的で面白く感じた。実際に中間製品を手にとって性状や重さなどを実感できるように工夫されている(下右)。砂鉄から玉鋼(たまはがね)製錬は、古くは山陰地方の十八番であり、近世は四国でも土佐刃物などで知られている。それがなぜここ愛媛大学で熱心に研究されているかは今ひとつ解説からはわからなかったが、愛媛はなんといっても銅の産地だったのだから、これが銅の製錬だったらもっと良かったのに・・とあくまで自分の趣味を独りよがりに思いつつ、全ての展示室を後にした。

 

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 1周して外に出るのに要したのは1時間ほど。以外に早く回ってしまい、昼食にはまだ間もあるので、ミュージアム付設のカフェで熱いコーヒーを飲みながらひとり余韻に浸ってみる。

 確かに鉱物スペースはまだまだ発展の余地を残しているだろう。大型標本の展示棚の下には多くの引き出しがあるが、あれはどうするつもりだろう?あそこに非展示鉱物を保存するくらいなら今までの研究室内で一括管理するだろうから、一番、理想的な使用法は、120万点を収蔵する「昆虫標本展示室」のように、自由に引き出しを開けて四国産鉱物の標本を見られるようにすることではないか?!もちろん、盗難防止の硬質ガラスカバー付きにしなければならないが、皆川先生によると四国産鉱物種は、2009年現在で479種なので、小さな箱入り標本ならあれだけのスペースでも充分収まりそうだ。鉱物愛好家にとって、どの鉱物がどのような産状で産出するのかはもっとも大きな興味であり、また苦労するところでもある訳だから、それがいつも観察できる場が提供されればおおいに自己研鑽の場として助かるに違いないし、正しい啓蒙にも役立つはずである。岡本要八郎−宮久三千年という記載鉱物学の権化ともいうべき偉大な先賢の正統な後継者である皆川先生も同じ考えだと信じて疑わないのだが、理想は理想としても、如何せん、結局は限られたスペース割り当てと、予算、マンパワーという三重苦に縛られた苦渋の結果が、今の展示状況だということなのだろう。しかし、世界に誇る四国産鉱物の偉大さを汎くアピールするためにも、たとえ時間がかかっても少しずつ手を加えられて、教室の若い先生の協力も仰ぎつつ、あの引き出しをさらに整備していただくことを願うのみである。その目的達成のためには、小生も及ばずながら協力させていただく所存である、とひとり決意を新たにした次第。

 

 また、愛媛大学ミュージアムと共に心に浮かぶのは、愛媛県立博物館の愛媛県総合科学博物館への統廃合で、それはどう考えても誤りであったと思う。県立博物館は、やはり絶対に松山になければならないものだったのだ。それは便利な場所柄という問題ではなく、愛媛の文化的水準の最も高いところに“身近”に博物館は必要であるからだ。こういうと、歴史文化博物館のある宇和町や、総合科学博物館のある新居浜市は文化が低いのかとお叱りを受けるのは必至だが、逆に言えば、身近に博物館に接することのできる町が文化的水準も高いと言える。こういう地域の差を余り言いたくはないのだが、日本の文化はやはり武家の文化である。となると城下町の方が商工業都市より水準が高いというのは厳然とした事実である。これは行政がどうの政治がどうのとは関係なく、何百年もの風土の上に形成されている伝統なので、少々の援助や教育ではどうすることもできない。

私事の経験で恐縮だが、20年余りも前、父の遺稿集を出版したことがある。父には香川県坂出市に関する郷土誌の著作が少々あったので供養のつもりで自費出版してやったのだが、地元新聞に掲載したところ、その日の内に送ってほしいとの連絡が殺到し300部の発行部数は瞬く間に売り切れた。坂出市の郷土誌なので坂出市民がほとんどだろうと予想していたのにさにあらず、9割以上は高松市や丸亀市の方々であった。「やっぱり坂出は文化程度が低いね。」と母と寂しく語り合ったのを憶えているが、さすがは高松も丸亀も名だたる城下町、塩田による新興都市坂出とはやはり何かが違う、そしてこれが文化的な差というものなのだろうと、ある意味、納得もしたのである。従って、新居浜への博物館移譲は松山にとっては致命的な痛手である。逆に新居浜市民が恩恵を受けるかと言えば、多分、それほどでもないだろう。まあ、文化とはそんなものである。新居浜の太鼓台博物館を松山に作っても意味はないのと同じである。以前、重信町に「足立の○」という施設があって、愛媛県下の太鼓台やだんじり、牛鬼、果ては宇和島の闘牛まで一堂に集めて、此処に来れば愛媛の文化がすべて分かると喧伝していたが、いつの間にか無くなってしまった。地域に根付いた風土や伝統を無視して“物”だけを移しても根付く筈もなく、とんだ見込み違いとなるのが関の山である。人と物、双方揃ってこその文化だからである。

さて、この「身近」という言葉で判断した場合、最も多くの学生を有する松山市民が“身近”に二つの博物館に行けるだろうか。双方とも一日がかりの行程である。一般人にとっても、松山に出張や用事のついでに“ちょっと”博物館を見て帰る、というその手軽さがリピーターともなっていた訳だが、東予の人が南予に出張する、或いは南予の人が東予に出張するという機会は松山に較べると遙かに少なく、おまけに有料とくれば、やはり“ちょっと”立ち寄るには躊躇するのが人情であろう。愛媛の誇りを身近に見に行くことができないほど教育にとって不幸なことはない。それで、“郷土愛”とか“ふるさと教育”と叫んでみたところで空虚な空言に過ぎない。自分たちが幼少時に恩恵を受けてきた博物館を、次世代の子ども達から取り上げるのは最大の裏切りと文化への冒涜である。そんな教育のしっぺ返しは何十年も経ってから確実に郷土に戻ってくる。今さら言うまでもないが、教育の誤りほど恐ろしいものはなく、その原因を作った為政者は万死に値すると言っても過言ではない。問題は永く根深く子どもの心に残り、将来の国の行く末をも左右するからである。・・ちなみに、その地域の文化的水準が高いか否かを判断する指標で良く知られているのは、「市民オーケストラ」があるかどうかということだそうだ。指標にするものは山ほどもあるのだが、一番簡単で、文化と相関関係にあるのがこうした音楽への取り組みであるらしい。確かに小さな田舎町でもオーケストラがある町もあれば、県庁所在地でもないところもある。さて、そう考えると愛媛の場合はどうであろうか?

 愛媛新聞の「地軸」(2009.11.18)には、次のような論評が掲載されている。「・・松山市堀之内にあった県立博物館。幼少期から足しげく訪れた。奇妙で巨大で美しい昆虫標本に魅了され、鳥獣はく製の義眼に見つめられ息を潜めた日々。見知らぬ鉱物にため息を漏らし土器の向こうに人類の歴史を見た。その博物館が、県都から去って間もなく1年。未知の昆虫や野鳥、木の実に葉っぱ・・。子どもたちが疑問と好奇心を持ち込み、学芸員と交流した光景も今はない。博物館行政の貧困を恨む前に、博物学そのものの衰退を嘆いたものだ。・・気持ちの空洞を埋める(愛媛大学)博物館が、県都に復活した。日本を代表する研究の数々に裏付けられた最新の展示。久しぶりに魂を揺さぶられた。何より、未来の科学者たちの好奇心を満たすであろう環境整備を喜びたい。目を輝かせて標本を見る少年少女。ミュージアムの存在が博物学の再評価につながれば、なおうれしい。」

 県が文化行政から手を引いて放棄してしまった今、子ども達の好奇心を満たす愛媛の文化水準は、この愛媛大学ミュージアムをどのように育てていくかにかかっている訳で、文化都市松山に相応しく、市民と協力しながら着実に歩んでいただきたいと願っている。香川県人である小生が妬ましく思うほど、世界に誇るべきお宝と文化に満ちあふれた素晴らしい県であるだけに、この思いはなおさらである。

 

 そんなことを思いながら徐にカフェの席を立ち、のんびりと大街道に向かって歩き出した。道すがら、昔、懇意にしていた古書店にはいってみたが、経営者が替わって、今日は用事があるからと、追い出されるように急き立てられた。山道具を調達していたキャンプ用品店も店内がもぬけの殻で、ロゴを描いた看板だけが師走の風に空しく揺れていた。大街道の飲食店も多くは馴染みが無くなって、「テナント募集」の閉じられたシャッターがやけに目立った。変わっていないように見えても4年の歳月はやはり長く、しみじみと「年々歳々花相似、歳々年々人不同」をこころに感じたのである。そんな中、昔よく立ち寄った2階の小さなレコード店が健在だったのはちょっと嬉しくて、さっそく階段を駆け上り、ジャズクラブのオールドナンバーを2,3枚、ゆっくりと選んでから、なお年末の慌ただしさの漲る松山を後にしたのだった。

 

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