大山祇神社本殿 海事博物館
愛媛県越智郡大三島町にある「大山祇神社」。日本総鎮守の神にして伊予国上一宮でもあり、古来から多くの氏族、武将の崇拝篤く宝物も多い。特に「国宝館」に納められている甲冑、刀剣は他に類例を見ない充実ぶりで国宝、重要文化財のオンパレードである。その中でも観光客のお目当ては、源義経公着用「赤糸威胴丸鎧」であろう。私たちの世代の中学校、高校の教科書にも、その写真が載っていたと記憶している。悲劇の軍神、義経の数少ない遺品として感動なくしては見ることができない。平家追討の戦勝祈願として奉納されたものであろう。
大山祇神社の祭神は「大山積大神」。天照大神の兄神で、海神としても知られるが、もともとは山神であったと考えられる。越智氏の氏神として崇敬深く、中世、伊予を支配した一族の河野氏や村上氏もまたしかり、代々彼らが「通」の一字を諱とするのも、大山祇神の本地仏である「大
通智勝仏」にあやかるものである。現在も「河野通・」とか「村上通・」という名前は愛媛県には非常に多い。さて、前置きはこの程度にして、国宝館に併設されている海事博物館に行くことにする。大山積神が山神であることから、鉱山の守護神としても信仰され、各地の鉱山から、多くの鉱物が奉納されているからである。別子銅山も、開坑直後の元禄四年に大山祇神社が勧請され、銅山の歴史とともに変遷を重ね、今も山根に鎮座ましまして新居浜を見守っている。
地中にて働くことは慣れながら 皆大山祇に禮して這入る
川田 順の歌である。荒くれながらも敬虔な、当時の坑夫達の姿が目に浮かぶようである。
二階に上がると、立派な鉱物がうやうやしく並べられていた。金銀銅鉱石の他にも、愛媛県特産のエクロジャイトやクロム鉄鉱、加茂川ひすいなどもあって、愛媛県立博物館と比べても質量ともに遜色はない。写真左は「佐々連鉱山 金砂坑24番坑道産 黄銅鉱」、右は「市之川鉱山産 輝安鉱」である。さすが奉納品だけあって標本も大きく一級品であることが容易にわかる。途中で屈曲している輝安鉱は珍しいのではないだろうか?中国の錫鉱山産のものは屈曲輝安鉱が多いそうだが、市之川産は、結晶が延びる方向はさまざまでも、一度成長をはじめるとほとんどがストレートである。屈曲の原因は、成長途中における熱水の流動状況の変化や、急激な地殻変動が原因ではないかと考えられている・・・などと、思いめぐらしながら、しばらくは立ち去りがたく舐めるように眺めていたが、ただ一つ残念なことがあった。それは陳列棚の管理が悪いことである。右の輝安鉱のガラスケースを見ていただきたい。基台とずれているのがおわかりだろうか?多分、先年の芸予地震の影響であろう。もう少しずれて、万が一、ガラスケースが傾くと中の輝安鉱も折れてしまうのではないかと心配である。その他、陳列棚には、クモや蛾の死骸がそのまま放置され、埃も積もり放題である。照明も薄暗く、一部の標本は満足に観察することもできないほどだ。せめて2,3ヶ月に一度は、きちんと清掃して管理していただきたいと切に願う次第である。日々禮して已まなかった大山祇神のために、地底の切羽からはるばる運んできた鉱山の人達の願いが込められた大切な品々であるゆえに、義経の鎧と同じく、永く美しく輝かせていただきたいと重ねて願いながら、雨の博物館をあとにした次第である。