東平小学校の景

 

銅山輝かす北斗星 希みの道にいそしみて

究めよ究め 究めよ究め東平の

              学びの校庭にみなかしこ   (東平小学校校歌 2番)

    

東平小学校は、明治39年に住友私立住友東平尋常高等小学校として開校した。

昭和36年には新居浜市立に移管、昭和43年の閉校までに2,574名の卒業生を送りだした。

学校は、一の森へと続く尾根の鞍部にあって、東平からも呉木からも依怙贔屓のない絶好の場所だった。

絵葉書に見える正面の山が一の森。この平たい頂上に運動場が作られていた。

日和佐初太郎氏の「別子あのころ 山浜島」には、運動場で行われた楽しい運動会の様子が収められている。

浜の惣開小学校は、他の学校生徒からの妬み嫉みを受けたり、逆に住友を鼻にかける悪習が蔓延っていたが、

さすがに東平は、すべて一家のような雰囲気の中で、楽しく穏やかな学校生活を送ることができた。

狭い社宅の慎ましい生活の中にも家族揃っての楽しい団欒、カギをかける必要もない親しい近所付き合い、

厳しい中にも教える者と教えられる者が互いに分かり合える美しい師弟愛、兄は弟を庇い、姉は妹を慈しむ。

そんな山の平和な一日の終わりを、耿々たる北斗七星は銅山峰から遍く白く照らしていたに違いない。

 

 

それから僅かに40年、日本はどこで舵を取り違えてしまったのであろうか?

凍てつく冬の夜、新居浜から見上げる北斗七星は昔と変わらず美しいが、今は黙して語らず

ただ廃墟をして語らしむるのみである。