第三採鉱課及び沈殿槽の景(明治後期)
東平第三地区。すべてが整った美しさに満ちている。採鉱課が端出場に移るまで別子の中心であった。
東延の暗渠を彷彿とさせる採鉱課の石組も実に素晴らしい。重厚な明治構造物の特徴をよく示している。
第三通洞開削時に出た瓦礫で狭い谷間を埋め立てて、軌道が縦横に走れる広い空間をうまく造成している。
沈殿槽についてはNO.4で述べたので、ここでは第三変電所の問題点を簡単に記しておく。
変電所は、遠登志発電所からの高圧電流を、鉱山電車用の直流用や、家庭用通常電源用に変換するために
明治37年に設置された。隣接する沈殿槽が翌明治38年10月に完成したことは先に述べたが、
ここに若干の疑問が残る。どの文献をみても、煉瓦造りの建物が明治37年完成と記されているが
上の写真を見ていただきたい。沈殿槽はすでに稼働中だが、変電所の煉瓦造りの建物はまだなく、
木造平屋建てがあるに過ぎない。明治37年完成というのは、この小さな変電所のことなのであろう。
今も残る煉瓦造りの立派な建造物は、少なくとも明治38年以降に増設されたものと考えられる。
おそらく激増する東平地区の電力需要に対応するため、しっかりした変電設備を追加増設したのであろう。
ちなみに交流は家庭用もあわせて30サイクル。ずいぶんと暗かったのではないかと思われる。
電球も今治の「ハリソン電気」のものを専用に使用していたと言うことである。(山村文化19号)
平成14年10月、北海道浅井学園大学 水野信太郎教授は第三変電所を実地調査された際、
「もともと隣(南側)に木造建物が建っていたことが、南側の壁面に残る痕跡から推察される。
しかし、その痕跡から、二つの建物が同時に計画されたものであるとは考えにくく、
木造建物は別の時期に作られたものであると云々。」(山村文化29号 収録)
といみじくも看破されている。まったく以ってさすがである!と感嘆感服するほかない。
「未来への鉱脈」(新居浜市刊)より転載。