第三通洞 

 

第三通洞の絵葉書では、もっとも有名かつ流通している絵葉書ではないだろうか。

時代は、軌道面の汚れや、工員の服装などからおそらく昭和初期まで下ると思われる。

通洞周囲の石組は、「乱層乱石積み」と呼ばれる技法で、隙間もセメントモルタルでしっかり塞がれている。

通洞のアーチ部分も丁寧なルスティカ積みで北木島の花崗岩が使われているそうだ。(山村文化29号)

日銀本館と同じというから、さすが、明治の匠たちは、「本当にいい仕事をしてますネ〜!」と叫びたい。

カメラ目線で運転している軌道車は、トロリー式電車。馬力が強いので比較的大きな坑道で使用された。

運転席が横向きなのは、狭い坑道の中で前後の確認をしやすくするためである。木製鉱車を牽引している。

小さな送電線のない坑道や、トロリーのスパークが危険な場所では、小回りの利く2t蓄電池車が活躍した。

軌道右側の鉄製部分は、足谷川にかかるポーナル橋のプレート。水は暗渠を経て採鉱課下から放水される。

その横の六角形煉瓦積みは、「会所」と呼ばれる排水用設備。明治38年に設置されたものである。

「会所」は、坑内排水を一時貯留して、流れの方向転換や分配をしやすくするためのものであって

排水管の急流部分や合流部分に置かれた。導水管は木製だが、これは坑内水が線路を溶かすほどの酸性のため

鉄管が不適のためであるが、会所はそれに加えて水圧の負荷にも耐えられるよう頑強な煉瓦で作られた。

排水路は会所で中継されながら沈殿槽を経て、鉱毒を除去したあと延々と下部鉄道沿いを惣開まで続いていた。

排水系統が第四通洞に統一された後は廃止され、不要となった木製導水管は寸断され朽ち果ててしまったが、

煉瓦製の会所だけが今も第三通洞の傍らに、昔日の面影を留めてそのまま残っている。