能の歴史     

 能とは才能、能力、技能の意であり、専門的技能の持ち主が発揮するわざはすべて能であります。能は江戸時代までは「猿楽の能」とか「猿楽」とも呼ばれていた。

 能の前身は猿楽にあり、唐時代以降の中国で盛んだった散楽に由来している。手品・軽業を芸としていた田楽とは対立的に併存していた。田楽は演劇として見せ物をするようになってからは、猿楽と競合するようになったが同類のものです。田楽の田の字の上下の棒を引き伸ばして、申(さる)楽と書くようになって猿楽の名称が生まれたという説や、猿楽は神楽から出たもので、神の字のつくりを削除して申楽と名付けたという説もあるが、いずれも仮字の俗説のようで、散楽の文字に音が近いことから、「さるがく」と呼んだのが正しい起源とされている。朝廷での正式の雅楽に対し散楽は俗楽を意味した。当時は舞楽の一部として平安朝の宮廷で演じられているうちに芸質が変わっていき、滑稽な物まね技が主になっていった。

 申楽の座は畿内を中心に、大和の四座、近江の三座、伊勢の三座、丹波の三座があり、中でも大和と近江の座が傑出し、「田楽の能」と対抗していたが、申楽が田楽を制圧し今日の能に発展した。

 能は室町時代の三代将軍足利義満の時代に創始され、八代将軍義政の東山時代までが草創の全盛時代であった。戦国時代で衰微したが、秀吉の時代で全盛を極め、徳川時代では幕府の庇護により最盛期を迎えた。明治維新で庇護者を失い崩壊の危機に瀕したが、世相の変遷を経て今日再び隆盛に至っている。600有余年の命脈を保ち、世界最古の音楽演劇芸能(詩劇)としての伝統を誇っている。

世阿弥  

 観世流の創始者は観阿弥清次で伊賀の国の出身。母は、後醍醐天皇と南朝を築いたがその後の北朝側(足利尊氏)との戦で、神戸の湊川で自刃した楠木正成の妹。大和の古い猿楽座の棟梁の家に生まれました。大和四座のもっとも新しい座。芸技に優れ貴賎の観客を魅了させた。足利義満に見い出され、時に12歳。将軍の絶大な後援を得て「能楽界の筆頭」になった。52歳で駿河巡業中に客死。

 その子世阿弥元清は観世音の御夢想を感じ観世流を興し、それまで物まね主体の猿楽能を、幽玄美を理想とした歌舞主体の芸風に磨き上げ、今日まで命脈が続くほどに芸術性を高めた。父を凌ぐ才覚の持ち主で、容姿にも優れ義満に寵愛された。しかし将軍義教は以前から世阿弥の弟四郎の子の元重をひいきにしていたため、世阿弥父子に悲運がおとずれ迫害され始めた。観世大夫であった父に劣らぬ天才と称された長男元雅(享年40歳未満)を70歳にして失った世阿弥は元重を後継にしたが、過去のいきさつから将軍の怒りに触れ、71歳の老残の身で佐渡へ流された。一旦は元重を養子にしながら、実子の元雅に観世大夫を譲ったことに遠因がある。しかし佐渡でも能への意欲は衰えず執筆活動もし、娘むこに能のあり方を記した書を送った。74歳まで佐渡にいたと記録にある。帰洛して死ぬまで能の芸風を研究し、81歳没とする伝承がありますが定かでない。

 能のあるべき姿を論じた伝書の数々を子孫に残し、演者として作者としてのみならず、理論家としても卓越したものを兼ね備え、文芸史上最も稀な天才と評価された世阿弥。彼が完成させた夢幻能はその後の能の主流となり今日まで受け継がれている。

 世阿弥の著書:最初の能楽論書「風姿花伝」、「花鏡」、「至花道」、「三道」 、「拾玉花」、「習道書」、「金島書」(佐渡在島中の作品)

 世阿弥の作と確認できる作品は50曲近く、彼の作と推定し得る曲をいれると100曲に近づく。

 乞食と同一視されていた猿楽に彼のような天才が現われたことは、日本文芸史上の奇蹟といわれている。

 資料:別冊太陽「能」(1978)、別冊太陽「能 道成寺」(1979)     能入門(淡交社)、「能楽のあれこれ」(松原功氏:耳鼻咽喉科・西条市)対談コーナー「能楽について」(松原功氏、愛媛県医師会報平成5年)

能の種類  

 1、脇能物(一番物):神体が出現してさっそうたる神舞を舞う内容。

 2、修羅物(二番物):修羅道(戦)の苦患(くげん)を見せるもの。

 3、鬘物(かずらもの、三番物):女が中心になる内容。男の役者が鬘を用いる。   

 4、雑物(四番物):複雑な内容で、狂女、狂乱、遊狂物等で深刻な心理描写がある。

 5、切能物(五番物):鬼畜怪神を対象。 

 さらに夢幻能と現在能に分けられます。    

夢幻能と現在能 

 前者は物語は戦いもあれば恋もありで、怨念がや未練があるがゆえに成仏できない魂が、ワキ役のきっかけでこの世に幽霊となって現われ、懐旧談をする形をとる。法や仏力で成仏したり、夜明けとともにワキが見ていた情景が消え失せる形式が多い。シテという主演独演主義で一貫している。このため見物人の視線を常に集中させるため、演技は精緻かつ微妙さが求められ、能の極致と優美さが称えられる由縁です。  
 後者は現実に生きている人間界に題材を取ったもの。幽霊となってこの世に現われる形式ではありません。中心人物はやはり一人に限定されている。

囃子(はやし)  

 能で使用される楽器は大小の鼓と、それよりやや大型の太鼓と一本の笛の4種類に限られている。これらの単純な打楽器が能のリズムを作り出し音楽を支える。これに掛け声が加わり、「ヤ」、「ハ」、「イヤー」といった掛け声が相まって能の内容に即した、緩急強弱なリズムを作り、謡曲の旋律やリズムと重なって、立体的な「詩劇」を構築する。

地謡(じうたい)  

 合唱部のことで紋服・袴で地謡(じうたい)を合唱する。通常8人構成で、解説や進行的な役を緩急強弱をからめて謡う。シテやワキや話を引き立てる謡う集団。

鑑賞の仕方  

 能の動きは粛々とし、あるいは機敏に動き、静中動あり、動中静ありとして、無駄な動きや所作を除き、簡素の中にも力や気を込めて、情念や意思など喜怒哀楽の諸相を表現している。全般にテンポが遅いが、ただのんびりと悠長に演じているわけではない。一様に終始単調であるわけでもない。問題は密度と充実感であって、音と音の間、一つの動作から次の動作へ移る間に、緊密な時間の流れが持続している。また極めてテンポの速い場面もある。足の動きにも注目。微妙な表現があり足の運びの芸術とも言われる由縁がある。