肛門疾患の歴史的事項

はじめに

 痔は日本人に特に多いというものでなく、痔核(いぼ痔)で言うならば、心臓と肛門の間で水圧(静脈圧)が生じる直立や座位をとる、腹圧が下腹部に及ぶ人類共通のポピュラーな病気です。 痔主が大昔から苦しんできた病気です。医学の発達していなかった時代には、痔核や脱肛の嵌頓(かんとん)、肛門周囲膿瘍(痔瘻)、肛門潰瘍(難治性肛門列創:裂肛)等で随分苦しんでいたと思われます。麻酔のない時代の治療では、しばったり、焼いたり、腐らせたりの悲惨な面がありました。しかし近年の外科学の進歩とともに暗黒の世界の痔にも、明りがともされ、近代的になってきました。痛くない、再発しない、肛門機能不全を伴わない、早く社会復帰できる等の、昔からの課題が次第に改善されてきております。 

 西洋の肛門疾患の歴史的事項

B.C.2500 エジプト宮廷に肛門医が存在したと記録 されている。

B.C.1900 バビロニアのハムラビ法典: 痔瘻の治療代のとり決めの記載 がある。

B.C.1500 パピルスに薬物療法が述べられている。(旧約聖書に直腸脱や痔核の事が述べられている)

B.C.400 ギリシャ人のヒポクラテス(医学の父)の医学書: 肛門鏡、ゾンデ、坐薬の存在を記述。痔瘻の「しこり」をヒポクラテス結節といって手術した。

A.D.79 ヴェスヴィオ火山の爆発で埋没したポンペイから肛門鏡発見 。 

131200 ガレヌス(薬学の神様):痔核の静脈瘤説と 痔瘻の結紮療法を紹介 。

200年頃は 痔核は静脈瘤と認識され、切って血を出させる「しゃ血」が行われている。昔は痔の出血は悪い血が出ていると思われていた。

1267 Theodoricus:内痔核には焼灼より結紮法を提唱 。 

1370 John Ardenne:痔瘻の 論文(大英博物館)(1422年没の英国のヘンリー5世も痔瘻をわずらった)

15101590 Ambroise Pare:痔瘻結紮療法 

1686 C.S.Ferix:フランスのルイ14はひどい痔瘻で、ソルボンヌ大学のヘリックス教授の手術を受けた。

1765 Pott:痔瘻の著書を刊行し、湾曲したメスによる痔瘻の手術術式を考案した。痔瘻の一期的切開を主張、失禁や狭窄にも言及。(痔瘻解放論者)

18131883 J.M.Simus:シームス体位を考案 。 

1835 Frederick Salmon:世界的に有名なSt.Marks(セント マークス)病院(英国)の前身である肛門直腸病専門病院を開設。

1934(昭和初期)年 イギリスのミリガン・モルガンが痔核の画期的手術術式を考案。痔核・脱肛の今日の手術の基本をあみだした。

その前の50年間はホワイトヘッド氏法が主流だったが、後の狭窄や粘膜脱等の合併症がひどく、後年悪魔の手術とまで言われるようになった。

 このようにして西洋では肛門病の医学も近代化の道を歩んだ。

     東洋の肛門疾患の歴史的事項

インド: 仏弟子の王が痔で悩み、呪文をとなえていた。  

B.C.1000 アーユルヴェーダ:痔疾患の薬物療法など記述 。 

B.C.400 Susruta の外科書に痔疾患の治療法、仏典に仏説痔病経があるとされている。

中国: 周時代(B.C.1000年頃)から発達してきた。

紀元前83世紀 春秋戦国時代の書物に「痔」や「瘻」の名称がみられる。また秦王が医師に痔を治してもらい、多くの馬車を与えたという。

紀元200年頃 「華佗」という名外科医がいて、酒で麻沸散を飲ませる麻酔法で痔の手術を行った。彼は100歳まで生きたが時の王の怒りにふれ殺された。

宋時代(1013世紀)には痔核や痔瘻の記載あり、痔瘻では砒素を用いる粘痔釘療法が行われた。

明時代(1417世紀)の書物「外科正宗」に、高位痔瘻に対する挂線療法(結紮法の一種)が記載。

清時代(1719世紀)の外科図説には、歴代の手術器械や古くからの探肛筒(一種の肛門鏡)や探肛針・/FONT>記載。 これらはわが国にも多くの影響を及ぼした。

なお、今日の中国の医学用語では痔核は痔(または痔節)といい、痔瘻は肛瘻と呼ぶ事が多い。痔瘻科は肛門科であり、痔瘻だけの科ではない。

     日本の肛門疾患の歴史的事項

701年 大宝律令の令義解に瘻(ろう)の字が記載 

983(平安時代)年 源順の和名抄:「瘻、後病(しりのやまい)也」

984 丹波康頼の「医心方」:瘻病の字が記載 1200年頃(鎌倉時代) 病草紙に痔核、痔瘻の絵が描かれている。この頃は焼ゴテをつかったり、馬の毛でくくったりしている。

17601835(徳川時代後期)年 南蛮医学からオランダ医学(蘭学)に移りかわる中で、紀州の華岡青洲は漢方外科とカスパル流の西洋外科の折衷で飛躍的進歩を図り、華岡流医術の全身麻酔下で痔瘻、痔核、鎖肛、兎唇、乳癌等の手術を行った。その弟子の本間そう軒が裂痔は酒客に多く、痛みや出血でうつ的になると記録している。   

(華岡青洲は内服剤を用いて「世界で初めて全身麻酔による乳癌手術を行った」日本が世界に誇る外科医です)。清洲は中国の紀元200年の「華佗」を尊敬していた。